ご終焉の地碑・日野俊基卿墓 | 葛原岡神社 - 神社ファン

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葛原岡神社

くずはらおかじんじゃ

神奈川県鎌倉市梶原5-9-1

ご終焉の地碑・日野俊基卿墓

更新日:2026年1月27日

ご終焉の地碑

ご終焉の地碑と呼ばれる石碑は、正式には「俊基卿終焉之地」とされ、葛原岡神社の社殿左手、本殿のすぐ脇に鎮座しています。この碑は、同社の祭神である日野俊基卿が、鎌倉・葛原岡の地で最期を迎えた場所であることを示すものです。
ご終焉の地碑
ここでいう「終焉」とは、日野俊基卿が葛原岡で処刑された史実を指しています。俊基卿は後醍醐天皇の側近として鎌倉幕府倒幕運動に関わり、元弘元年(1331年)の元弘の乱の最中に幕府に捕らえられました。そして翌元弘2年(1332年)6月3日、この葛原岡において処刑され、命を落としています。
現在、御社殿左手に位置する「俊基卿終焉之地」の碑の周囲には竹垣がめぐらされており、日野俊基卿の最期の地として、静かにその歴史を伝えています。
「俊基卿終焉之地」の碑

日野俊基卿墓

日野俊基墓は、葛原岡神社へ向かう参道沿い、鳥居が見える地点の左手に位置しています。日野俊基墓は、歴史上・学術上の価値が高い史跡として、1927年(昭和2年)に国指定史跡となりました。
史跡「日野俊基墓」
史跡「日野俊基墓」の中心となるのは、墓塔として建てられた宝筐印塔です。墓は高さ五尺ほどの宝筐印塔一基から成り、その周囲は石の玉垣で囲われ、独立した墓域として整えられています。墓域内には、宝筐印塔のほかに記念碑や石燈籠なども配されており、現在も史跡として保存管理が行われています。
宝筐印塔Kamakura(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
現地では「俊基朝臣墓所碑」と呼ばれる大型の石碑が目に入るため、この碑そのものが墓であると誤解されることがあります。俊基朝臣墓所碑は、大正6年(1917年)に建立された旧跡碑で、日野俊基卿の事績や処刑、辞世の歌に触れた碑文が刻まれていますが、国指定史跡としての主体はあくまで宝筐印塔と墓域全体です。
俊基朝臣墓所碑
墓前には「贈従三位日野公墓碑銘」が建てられています。日野俊基卿の生前の位は従四位下でしたが、明治時代になってその功績が評価され、従三位が追贈されました。
また、この碑には日野俊基卿の辞世の句として「秋をまたで 葛原岡に 消ゆる身の 露のうらみや 世に残るらん」が刻まれています。あわせて、卿が深い思いを残してこの地で最期を迎えたことを伝える漢文の銘文も刻まれており、日野俊基卿の無念と、葛原岡という場所の歴史的意味を今に伝えています。

宮下翠舟句碑

参道脇の休憩所には句稗があります。句碑には鎌倉・扇が谷に居を構えていた俳人、宮下翠舟が詠んだ、「鎌倉に 雪降る離乃 別れかな」という句が刻まれています。宮下翠舟は、昭和から平成にかけて活躍しました。
宮下翠舟句碑

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