有名度
関脇富岡八幡宮
とみおかはちまんぐう
東京都江東区富岡1-20-3
昭和天皇関連の碑
更新日:2025年9月25日
富岡八幡宮には昭和天皇に関する碑があります。
「身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて」という歌は、1945(昭和20)年8月15日、終戦時に昭和天皇が詠まれたものです。
この碑は1986(昭和61)年、天皇陛下御在位60年を記念し、昭和天皇の御聖徳を讃え、後世に伝えるため建立されました。碑の文字は侍従次長であった鈴木一氏によるものです。鈴木一氏は内閣総理大臣・鈴木貫太郎氏の長男で、農林省事務官・陸軍主計中尉・首相秘書官・外務省入国管理庁長官などを努めました。
1945(昭和20)年3月18日、昭和天皇は東京大空襲後の被災地視察を強く希望し、富岡八幡宮に行幸されました。御料車はできるだけ目立たぬよう富岡八幡宮に向かい、大鳥居の前で停車。昭和天皇は下車され、焼け残った手水鉢近くで被害状況の説明を受けられました。その際、「こんなに焼けたか」と立ちすくまれたと伝えられています。またこのとき、終戦の御決意を固めたともいわれています。
この天皇陛下御野立所碑は、1960(昭和35)年、昭和天皇が視察された地に建立されました。
昭和天皇御製碑
手水舎の向かい側にあるのが昭和天皇御製碑です。「身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて」という歌は、1945(昭和20)年8月15日、終戦時に昭和天皇が詠まれたものです。
この碑は1986(昭和61)年、天皇陛下御在位60年を記念し、昭和天皇の御聖徳を讃え、後世に伝えるため建立されました。碑の文字は侍従次長であった鈴木一氏によるものです。鈴木一氏は内閣総理大臣・鈴木貫太郎氏の長男で、農林省事務官・陸軍主計中尉・首相秘書官・外務省入国管理庁長官などを努めました。

天皇陛下御野立所碑
手水舎の隣にあるのが天皇陛下御野立所(おのだちしょ)碑です。1945(昭和20)年3月18日、昭和天皇は東京大空襲後の被災地視察を強く希望し、富岡八幡宮に行幸されました。御料車はできるだけ目立たぬよう富岡八幡宮に向かい、大鳥居の前で停車。昭和天皇は下車され、焼け残った手水鉢近くで被害状況の説明を受けられました。その際、「こんなに焼けたか」と立ちすくまれたと伝えられています。またこのとき、終戦の御決意を固めたともいわれています。
この天皇陛下御野立所碑は、1960(昭和35)年、昭和天皇が視察された地に建立されました。

昭和天皇救国の御決断碑
天皇陛下御野立所碑の左手に位置しています。江戸・東京の発展と日本の平和を祈願し、2019(平成31)年に建立されました。昭和天皇救国の御決断碑には、昭和天皇視察時の様子が記された銅板と、銅板写真が埋め込まれています。
願掛けの八角十二支
碑の前には、願掛けの八角十二支があります。表面中心にトンボ、その周りにぐるりと干支が刻まれている八角形の石で、風水の第一人者、Drコパ氏が考案した触り方で願掛けをすると運気が上がるといわれています。金運・人気運/才能運・恋愛運/人間関係・仕事運/健康運とそれぞれ触り方は異なりますが、願い事はひとりひとつです。
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