松陰神社 東京都 - 神社ファン

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松陰神社

しょういんじんじゃ

東京都世田谷区若林4-35-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

東京都世田谷区若林4-35-1

拝殿

Kim Ahlström(wikipedia CC 表示 2.0)

かんたんご利益

  • 学業
松陰神社には

「学業・技芸系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

学問の神

御祭神

吉田寅次郎藤原矩方命 よしだとらじろうふじわらのりかたのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

松陰神社は東京都世田谷区に鎮座する神社。御祭神は吉田寅次郎藤原矩方命の1柱をまつる。
社格は旧県社。
安政6年(1859)10月27日、吉田松陰は安政の大獄によって江戸伝馬町の獄で刑死し、千住小塚原の回向院に葬られた。文久3年(1863)正月、長州藩士の高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人らが遺骸を回向院から世田谷若林の長州藩毛利家抱屋敷内へ移し、大夫山の楓の木の下に改葬した。
同じ時期には、安政の大獄で刑死した頼三樹三郎、小林民部の墓も回向院から移され、数日後には来原良蔵の墓が芝の青松寺から改葬された。同年11月には福原乙之進も埋葬された。
元治元年(1864)の禁門の変後、幕府による長州征討で毛利家抱屋敷は没収され、吉田松陰らの墓も破壊された。明治元年(1868)になると木戸孝允らによって墓所が修復され、綿貫治良助が埋葬されたほか、中谷正亮の墓が芝の清岸院から移され、長州藩邸没収事件の関係者を慰霊する碑も建立された。
明治2年(1869)には参道の整備が行われ、明治15年(1882)11月21日、吉田松陰の門人や縁故者が墓所のそばに社殿を建立し、吉田寅次郎藤原矩方命を奉斎して松陰神社が創建された。
昭和2年(1927)から昭和3年(1928)にかけて現在の社殿が造営され、昭和7年(1932)には府社に昇格した。平成12年(2000)には境内建物の大規模な改修と増築が実施された。
境内には吉田松陰をはじめ、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫治良助、中谷正亮ら幕末志士の墓が残る。また、山口県萩市の松陰神社に保存される松下村塾を模した建物や吉田松陰の坐像が建てられ、参道には毛利元昭、伊藤博文、山縣有朋らが奉納した32基の石灯籠が並ぶ。
例祭は春季が4月27日、秋季が10月27日に斎行される。秋季例大祭の時期には萩・世田谷幕末維新祭りも開催され、多くの参拝者でにぎわう。
  • 県社
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神社詳細

公式URL

摂末社・境内社

情報募集

例祭

例祭 4月27日・10月27日

文化財

桂太郎墓
世田谷区 史跡
文化財種別不明 平成25年3月29日指定

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
公式サイト
http://www.shoinjinja.org/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E9%99%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
世田谷区
https://www.city.setagaya.lg.jp/02059/3397.html
東京都神社庁
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/