成田山新勝寺の言い伝え | 神田明神 - 神社ファン

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神田明神

かんだみょうじん

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成田山新勝寺の言い伝え

更新日:2026年7月21日

本当に「両方に参拝してはいけない」の?

神田明神を参拝すると、「成田山新勝寺には行ってはいけない」「成田山新勝寺を参拝した後は神田明神へ行ってはいけない」という言い伝えを耳にすることがあります。この話は、神田明神の御祭神の一柱である平将門公と、成田山新勝寺の歴史に由来しています。平将門公は平安時代中期、関東で独立政権の樹立を目指した武将です。朝廷は将門の乱を鎮めるため、京都・神護寺の僧であった寛朝大僧正に命じ、不動明王像を奉じて関東へ下向させました。寛朝は現在の成田山新勝寺がある地で平定祈願を行い、その後、将門の乱は鎮められたと伝えられています。この祈願の場所に建立されたのが成田山新勝寺です。一方、神田明神では平将門公を三之宮の御祭神としてお祀りしています。そのため、「将門公をお祀りする神社」と「将門討伐の祈願が行われた寺」という歴史的な背景から、両方へ参拝するとよくないという言い伝えが生まれたとされています。
成田山新勝寺
しかし、この話はあくまでも古くから伝わる俗説の一つです。神田明神、成田山新勝寺のいずれも「両方へ参拝してはいけない」と公式に案内している事実はなく、参拝を禁止しているわけでもありません。実際には両方を参拝する人も多く、現在では歴史的背景から生まれた興味深い言い伝えとして語り継がれています。
神田明神を訪れた際は、この逸話を知ったうえで平将門公の歴史に思いを巡らせると、神社への理解がさらに深まるでしょう。

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