有名度
大関神田明神
かんだみょうじん
東京都千代田区外神田2-16-2
千社札の碑・歌碑・消火栓の碑
更新日:2025年7月29日
千社札の碑
合祀殿のそばには、「千社札の碑(せんじゃふだのひ)」が静かに佇んでいます。千社札とは、神社や仏閣への参拝の証として、自らの名前や住所を記した札を奉納する伝統文化。ここ神田明神では、その象徴として、200枚以上の千社札が刻まれた石碑が平成12年(2000年)に建立されました。
この碑は、全国の千社札愛好家たちの熱意を受けて建てられたもので、神門回廊の一角に設置されています。神社の景観を守りつつ、伝統を継承する場として機能しており、社務所に申し出れば、一般の参拝者でも千社札を納めることが可能です。

小唄作詞家・作曲家追悼碑
千社札の碑の隣には、「追悼碑」が静かに建立されています。これは昭和31年(1956年)、小唄作曲家・吉田草紙庵(1875~1946)の功績を偲び、10代目市川団十郎(堀越三升)や英十三(はなぶさじゅうざ)らによって建てられた記念碑です。草紙庵は、左官業を営みながらも音曲の道に深く傾倒し、長唄を初代清元延寿太夫に、三味線を二代目杵屋梅吉に学びました。やがて独自の感性で「江戸小唄」の作曲を始め、さらに「歌舞伎小唄」の創作にも取り組み、その名を広めました。
神田明神の境内にはこの追悼碑のほか、小唄の文化を伝える「小唄作詞塚」や、「小唄作詞家・作曲家追悼碑」も点在しています。

阿部筲人(しょうじん)の句碑
筲人 (1900~1968)は、俳句雑誌『好日』を主宰し、独自の俳句論を展開した人物として知られます。彼の著書『俳句―四合目からの出発』は、平易ながらも深い洞察に満ち、多くの俳句愛好者に親しまれてきました。この句碑は、昭和47年(1972年)11月12日、「好日俳句会」によって建立されたものです。句碑には俳人・筲人(しょうじん)の一句「山茶花の散るや己の影の中」が刻まれています。

消火栓の碑
神楽殿の隣には、ひときわ目を引く「消火栓の碑」が建てられています。これは、江戸の防火の歴史を今に伝える象徴です。江戸時代、人口が密集していた江戸の町では、しばしば大火に見舞われました。特に「明暦の大火」では多くの犠牲者が出たことから、町民による火消し組織が誕生。なかでも神田明神には「御防講(おふせぎこう)」という警護集団が置かれ、火災発生時には巴紋の神紋入り法被をまとい、纏(まとい)と提灯を手にして、神社を火の手から守ったと伝えられます。彼らは、まさに“江戸のヒーロー”市井の防火の先駆者たちでした。
この伝統は現代にも受け継がれており、神田祭などの祭礼では、御防講や「宮鍵講(みやかぎこう)」といった組織が重要な役割を担っています。
さらに、神田明神では毎年1月、「文化財防火デー」にあわせて神田消防署と連携し、火災訓練を実施。防災の意識を今なお高め続けています。

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