境内末社めぐり | 神田明神 - 神社ファン

有名度

大関

神田明神

かんだみょうじん

東京都千代田区外神田2-16-2

境内末社めぐり

更新日:2025年7月29日

9つの末社

神田明神には、多くの神々を祀る9つの摂末社があります。多くの神々をお祀りする9つの末社があり、都内でも希少な7基の石鳥居が並ぶ格式ある神社です。
本ページでは、本殿北側に鎮座する末社―籠祖神社、末廣稲荷神社、三宿稲荷神社、金刀比羅神社、浦安稲荷神社―それぞれの魅力をご紹介します。
境内末社めぐり看板

合祀殿(旧・籠祖神社)

合祀殿は、2012年(平成24年)、旧・籠祖(かごそ)神社の跡地に建立されました。籠祖神社はその名の通り、籠職人たちにより創建された神社で、五穀豊穣や商売繁盛のご神徳を授けるとされ、毎年11月5日に例祭が執り行われます。ご祭神は、猿田彦神・塩土老翁神・天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三柱。
この合祀殿には、かつて神田明神本殿に合祀されていた由緒ある神々も祀られています。誉田別命を祀る八幡神社(例祭:8月15日)、木花咲耶姫命の富士神社(例祭:6月1日)、菅原道真公と柿本人麻呂命を祀る天神社(例祭:8月25日)、日本武尊を祀る大鳥神社(例祭:11月5日)、天照大御神の天祖神社(例祭:10月17日)、建御名方神の諏訪神社(例祭:7月27日)など、境内に鎮座していた七社の神々を一社にお祀りしています。
古き信仰が息づくこの合祀殿は、神田明神の精神文化を今に伝える重要な社殿のひとつです。
合祀殿(旧・籠祖神社)鳥居と社殿

末廣稲荷神社

末廣稲荷神社の創建年代は定かではありませんが、江戸初期の1616年(元和2年)ごろの創建と伝えられています。現在の社殿は、1966年(昭和41年)2月に「東京鰹節類卸商組合」の有志の手により再建されたもの。神田明神の末社のひとつとして、信仰を集めてきました。ご祭神は『古事記』にも登場する五穀豊穣の神・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。「お稲荷さん」の名で親しまれ、江戸時代より庶民に愛されてきた神社であり、商売繁盛・家業繁栄の神として広く信仰されています。例祭は、毎年3月上旬の「牛の日」に執り行われます。
末廣稲荷神社 鳥居と社殿

三宿稲荷神社・金刀比羅神社

末廣稲荷神社の左隣に並び立つのが、神田明神の末社である三宿稲荷神社と金刀比羅神社です。一つの社殿を共有している形です。
三宿稲荷神社のご祭神は、末廣稲荷神社と同じく、五穀豊穣・商売繁盛を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。町内安全・家内安全にもご利益があるとされ、例祭は毎年10月初旬に執り行われます。創建年代は不詳ながら、江戸時代より神田三河町二丁目の鎮守として崇敬されてきました。のちに、神田明神第12代神主・芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷を合祀。現在の社殿は、昭和41年(1966)10月7日、金刀比羅神社と共に再建・遷座されました。
金刀比羅神社では、大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)の三柱をお祀りしています。国土・家の繁栄、金運招福、病気平癒、交通安全など、幅広いご神徳を授ける神社として知られています。創建は天明3年(1783)、旧・武蔵国豊島郡薬研堀(現・東日本橋二丁目)。当初は隅田川を往来する船人の守護神として崇敬され、後に商人や飲食業者からも商売繁盛の神として信仰を集めました。
両社の境内に設けられた水盤(手水鉢)は、文化2年(1805)に伊勢屋治兵衛により奉納された後、安政3年(1856)6月に神田・日本橋・京橋・下谷・本郷の町人45名によって再建されたものです。その際、江戸日本橋室町で代々書屋を営んだ平林家と縁のある書家・平林惇一による揮毫が施され、芸術的・文化的価値の高い逸品とされています。この水盤は、平成9年(1997)4月、千代田区指定有形民俗文化財に登録されました。
江戸の息吹が今なお息づくこの二社は、町人文化と神田明神の歴史を今に伝える貴重な存在です。
三宿稲荷神社・金刀比羅神社 鳥居と社殿

鳳輦神輿奉安殿

三宿稲荷神社・金刀比羅神社と浦安稲荷神社の間に位置するのが、鳳輦神輿奉安殿(ほうれんみこしほうあんでん)です。
ここは、江戸時代から連綿と続く神田祭に用いられる三基の神輿―神田、日本橋、神保町の各地域を象徴するもの―そして、天皇の行幸にも用いられる格式高い「鳳輦(ほうれん)」を厳重に保管・護持するための特別な建物です。
通常は非公開となっていますが、神田祭の期間や特別展が開催される際には、これらの貴重な神輿が一般に公開され、その荘厳な姿を間近で見ることができます。
また、毎年5月の神田祭の初日には、神田明神のご祭神である「だいこく様」「えびす様」「まさかど様」の三柱の御神霊を鳳輦および神輿に遷す重要な神事―「鳳輦神輿遷座祭(せんざさい)」が、この奉安殿にて厳かに執り行われます。
神田明神の信仰の象徴であり、江戸の祭礼文化の粋を今に伝える、まさに“神輿の聖域”ともいえる場所です。
鳳輦神輿奉安殿 鳥居と社殿

浦安稲荷神社

御神殿に向かって北西にひっそりと鎮座するのが、浦安稲荷神社です。
御祭神は、末廣稲荷神社・三宿稲荷神社と同じく、五穀豊穣や商売繁盛を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。特に、鎌倉町の鎮守として、町内安全のご神徳を授ける神として親しまれてきました。例祭は毎年3月上旬の「牛の日」に執り行われます。
その創建は、江戸時代初期、平川の河口付近(現在の内神田鎌倉町周辺)に漁民たちが海の安全と豊漁を願って祀ったことに始まります。やがて地域の守護神として信仰を集め、天保14年(1843年)に現在の地へと遷座されました。
社名の「浦安」は、この地がかつて葦やヨシが生い茂る静かな湿地帯であったことから、「浦(うら)、安かれ」と平穏無事を祈って名付けられたと伝えられています。
浦安稲荷神社は、江戸の原風景を今に伝える、穏やかな祈りの場として静かに佇んでいます。
浦安稲荷神社 鳥居と社殿

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