神降石・剣聖 髙野佐三郎遺跡・乾の井戸 | 秩父神社 - 神社ファン

有名度

関脇

秩父神社

ちちぶじんじゃ

埼玉県秩父市番場町1-3

神降石・剣聖 髙野佐三郎遺跡・乾の井戸

更新日:2026年3月5日

神降石

神降石は、秩父神社の境内にある大きな自然石で、「神が降り立つ石」と伝えられています。柞稲荷神社の前に位置し、古くから神聖視されてきました。
秩父神社境内の神降石
この石は、いわゆる磐座(いわくら)と考えられています。磐座とは、神が依り坐す場所とされる自然の岩や石のことで、社殿が整う以前の古い信仰形態を今に伝える存在です。神降石も人工的に設けられたものではなく、自然石そのものが信仰の対象となっています。
神降石アップ
名称の通り、神がこの石に降り立つ、あるいは神霊が宿る場所と信じられてきました。こうした自然物を神の依代とする信仰は、日本古来の神道の根幹にあたるものです。
現在では、秩父神社を訪れる参拝者の間でパワースポットとしても知られていますが、その本質は古代から続く自然崇拝と神道信仰の名残にあります。本殿参拝とあわせて神降石にも手を合わせることで、社殿以前の原初的な信仰の姿を感じ取ることができます。

剣聖 髙野佐三郎遺跡

剣聖・髙野佐三郎遺跡は、秩父出身の剣道家・髙野佐三郎の足跡を伝える史跡です。髙野佐三郎氏は、明治・大正・昭和の三代にわたり「剣聖」とたたえられ、近代剣道の礎を築いた人物として知られています。
文久2年(1862年)、秩父郡大宮郷の髙野家に長男として誕生しました。4才で祖父・苗正氏から小野派一刀流の組太刀を学び、5才で忍藩主・松平下総守忠誠公に組太刀56本を上覧しています。その際、「奇童」の二字を添えた銀子一封を下賜されたと伝えられます。
成長後は警視庁剣道教師や東京高等師範学校教授として活躍し、大日本帝国剣道形の制定にも関わるなど、剣道の体系化と普及に大きく貢献しました。昭和25年(1950年)、88歳で没しましたが、その功績は現在も高く評価されています。
秩父神社境内には、生家跡と伝わる場所や「産湯の井戸」、功績を顕彰する頌徳碑が残されています。また、市内の「高野佐三郎遺跡(明信館本館および遺品一式)」は秩父市指定史跡となっており、徒歩圏内にある佐三郎氏創立の明信館本館とともに、剣道教育に尽くした足跡を今に伝えています。
髙野佐三郎遺跡宵宮

乾の井戸

境内裏手の柞の森にある井戸です。剣聖・髙野佐三郎氏の産湯として使われたと伝えられています。井戸には水汲みポンプがあり、「日本の名水百選」に選ばれた武甲山伏流水を汲むことができます。

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