青銅鳥居 | 三峯神社 - 神社ファン

有名度

大関

三峯神社

みつみねじんじゃ

埼玉県秩父市三峰298-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

青銅鳥居

更新日:2026年10月19日

江戸の三峯信仰を伝える「青銅鳥居」

隨神門から本殿に向かって木々が立ち並ぶ参道を進んだ先、石段の上に建つのが青銅鳥居です。
石段の両脇では三峯神社の御眷属であるオオカミ像が参拝者を迎え、その先に青銅鳥居、さらに奥には極彩色の拝殿が姿を見せます。
石段から見上げる青銅鳥居
青銅鳥居は弘化2年(1845)、江戸深川の竪川講中によって奉納されました。
三峯信仰は江戸時代になると関東各地へ広がり、人々は「三峯講」と呼ばれる講を組織して三峯山へ参詣しました。江戸では火事や盗賊から町や家を守る存在として、三峯神社の御眷属であるお犬様への信仰が盛んになります。
この青銅鳥居を奉納した竪川講中も、そうした江戸に広がった三峯信仰を現在に伝える存在です。
青銅鳥居は、当時、荒川を利用して筏(いかだ)で運ばれてきたと伝えられています。現在のように自動車で山上まで運ぶことのできなかった時代に、大きな青銅鳥居を秩父の山深くまで運び上げたことからも、当時の人々の三峯神社に対する篤い信仰をうかがうことができます。
青銅鳥居 正面
青銅鳥居は拝殿の正面に位置しており、鳥居を通して鮮やかな拝殿を望むことができます。
さらに興味深いのが、この場所と隨神門との関係です。現在は参道の途中に建つ隨神門ですが、かつてはこの青銅鳥居付近に建っていたという記録も伝えられています。現在の境内とは異なる、かつての三峯山の姿を想像しながら眺めてみるのも面白いでしょう。
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青銅鳥居 扁額
鳥居をくぐる際は、頭上に掲げられた扁額にもご注目ください。
「三峯神社」と記された文字の周囲を龍の装飾が取り囲んでおり、青銅製ならではの重厚感があります。左右から龍が迫るような意匠は存在感があり、鳥居そのものだけでなく扁額も見逃せないポイントです。
そして、青銅鳥居にはもうひとつ、ぜひ探してほしい場所があります。
青銅鳥居の奉納者に刻まれた塩原太助の文字
鳥居に刻まれた奉納者の名前の中には、江戸時代の豪商「初代塩原太助」の名があります。
塩原太助は上野国から江戸へ出て、炭を扱う商いなどによって裸一貫から財を築いた人物です。その立身出世の生涯は、後に初代三遊亭圓朝によって人情噺「塩原多助一代記」として描かれ、歌舞伎などにも取り入れられたことで広く知られるようになりました。
大きな成功を収めた後も質素な生活を続け、私財を投じて道路改修や治水事業などを行った人物としても知られています。
そんな塩原太助の名前が、江戸の講中によって奉納された青銅鳥居に刻まれているのです。
さらに面白いのは、刻まれた「塩原太助」の部分だけ、周囲とは色合いが異なって見えることです。
立身出世を遂げた塩原太助にあやかろうと、その名前を撫でていく参拝者が多いためといわれています。150年以上前の鳥居に刻まれた一人の奉納者の名前が、現在では参拝者が手を伸ばす場所になっているのです。
石段の上に立つ青銅鳥居は、拝殿へ向かう参道の入口であるだけではありません。江戸の人々が三峯講を組織し、遠く秩父の山まで参詣した時代の信仰を今に伝える建造物です。参拝の際にはそのまま通り過ぎず、龍が飾る扁額、鳥居越しに見える拝殿、そして奉納者の中に刻まれた「塩原太助」の名前まで、ぜひじっくりとご覧ください。

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