楡山神社 - 神社ファン

有名度

前頭

楡山神社

にれやまじんじゃ

埼玉県深谷市原郷336

埼玉県深谷市原郷336

かんたんご利益

  • 健康
  • 安全
楡山神社には

「健康系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国土安泰 延命長寿 無病息災 海上安全

御祭神

伊耶那美命 いざなみのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

熊野系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

楡山神社は埼玉県深谷市に鎮座する神社。御祭神は伊耶那美命の1柱をまつる。
社格は旧県社。
当社には、五代孝昭天皇の御代に鎮座したとの言い伝えがある。大字原郷全域から東隣の大字東方西部にかけて分布する木之本古墳群(小字名・木之本)は、奈良時代ごろの古墳群とされ、古くから開けた土地であったことがうかがえる。現在の末社である天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、古墳の塚上に祀られたものであり、かつては境内奥の森にも塚があり「里人不入の地」と呼ばれた。平安時代の醍醐天皇の御代、朝廷の法規をまとめた「延喜式」の神名帳には、武蔵国幡羅郡四座のうちの一社として「楡山神社」が記されており、幣帛を朝廷から賜った古社であることから、延喜式内社に数えられる。旧原ノ郷村は平安中期、北武蔵の武将・幡羅太郎道宗によって再興された地域であり、神社の南西には史跡「幡羅太郎館跡」が残る。当社は幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社として知られ、御社名を幡羅大神とも呼ばれた。康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の際、幡羅太郎道宗の長男・成田助高が当社に立ち寄り戦勝を祈願したという。成田家は後に行田の忍城主となり、当社は成田家代々の篤い崇敬を受けてきた。徳川時代には旧社家の没落に伴い、別当天台宗東学院の管理下に入り、「熊野三社大権現」または「熊野社」とも呼ばれたが、「楡山熊野社」としての名も残っていた。当時から節分の日の年越祭は盛大で、「権現様の豆蒔」として親しまれた。
明治5年には旧入間県八大区の郷社に列格し、大正12年には県社に昇格した。大正2年、中絶していた年越祭を再興。戦中・戦後の一時期は中断されたものの、神職や氏子の努力により復興し、毎年節分当日は多数の参拝者で賑わい、追儺の神事や花火(戦前は「おだまき」と呼ばれた地域伝来の花火)などが夜遅くまで行われている。
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神社詳細

公式URL

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出典
公式サイト
http://nireyama.main.jp/
埼玉県神社庁
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/