御社殿・御祭神・ご利益 | 鹿島神宮 - 神社ファン

有名度

大関

鹿島神宮

かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中2306番地1

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御社殿・御祭神・ご利益

更新日:2026年8月16日

徳川秀忠が寄進した複合社殿

鹿島神宮の現在の社殿は、1619年(元和5年)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって寄進されました。本殿・石の間・幣殿・拝殿という4つの建物が連なる複合社殿で、一連の社殿は国の重要文化財に指定されています。
石の間・幣殿・本殿
参拝者に最も近い建物が拝殿です。その後方に凸型の幣殿があり、さらに石を敷いた渡り廊下である「石の間」を介して、御祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお祀りする本殿へとつながっています。
現在の社殿が造営された際、それまで使われていた本殿は取り壊されず、境内の奥へ移築されました。それが現在の「奥宮」の本殿です。現在の本殿と奥宮を両方見ると、徳川家による造替を境に鹿島神宮の社殿がどのように受け継がれてきたのかを実際の建物で見比べることができます。
拝殿
社殿の造営を担ったのは、幕府の大棟梁・鈴木長次(すずきながつぐ)です。徳川秀忠や3代将軍・家光に重用された大工棟梁で、身延山久遠寺五重塔や日光二荒山神社などを手掛けたことでも知られています。
本殿
三間社流造の本殿は、細部まで施された彫刻と鮮やかな極彩色が大きな見どころです。石の間にも本殿と同じく華やかな彩色が施されている一方、参拝者から見える拝殿と幣殿は白木造りで、奥へ進むにつれて意匠が大きく変化します。
本殿をよく見ると、軒下から白い糸が何本も垂れ下がっています。一見すると装飾のようにも見えますが、これは鳥が近づき、彫刻や供物などを傷つけることを防ぐための鳥除けです。
また、垣に囲まれた社殿の敷地内には、高床式の神庫も建っています。神庫は鹿島神宮に伝わる宝物を納めるための建物で、本殿周辺を眺める際にあわせて注目したい建造物です
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北向きの本殿

鹿島神宮の本殿には、もうひとつ大きな特徴があります。それが「北向き」に建てられていることです。
神社の本殿は南向きに建てられることが多く、それ以外では東向きも多く見られます。そのなかで鹿島神宮の本殿が北を向いているのは珍しく、なぜこの方角を向いているのかについては複数の説があります。
そのひとつが、古代に鹿島神宮より北方に広がっていた蝦夷の地を意識したという説です。鹿島神宮が創建された時代、北方は朝廷にとって未平定の地域であったため、武神である武甕槌大神が北を向いて鎮座し、北方への備えとしたともいわれています。明確な理由は分かっていませんが、東国の要衝に鎮座する鹿島神宮らしい伝承です。
見上げた拝殿

御祭神・ご利益

鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神です。『古事記』『日本書紀』の国譲り神話に登場し、葦原中国の平定に大きな役割を果たした神として知られています。
武神として古くから信仰されてきたことから、鹿島神宮を代表するご利益が勝負運です。スポーツや武道の試合だけでなく、仕事や人生における重要な勝負にも力を授ける神として信仰され、事業成功や事業繁栄を願って参拝する人も多くいます。
ご祭神 武甕槌大神
また、鹿島神宮は旅立ちとも深い関係があります。武甕槌大神と経津主大神が国土平定のため東国へ向かったという伝承から、かつて防人や武人たちは旅立つ前に鹿島神宮へ参拝し、道中の無事を祈願しました。
ここから生まれたとされる言葉が「鹿島立ち」です。現在では旅立ちや門出を意味する言葉として使われていますが、その背景には鹿島神宮への信仰があります。こうした由来から交通安全のご利益でも知られ、旅行や遠出だけでなく、人生の新たな一歩を踏み出す際にも参拝したい神社です。

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