楼門 | 鹿島神宮 - 神社ファン

有名度

大関

鹿島神宮

かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中2306番地1

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楼門

更新日:2026年9月1日

日本三大楼門

鹿島神宮を代表する建造物のひとつが、鮮やかな朱色の楼門です。左右に回廊を従えた堂々たる姿で、福岡県福岡市の筥崎宮、熊本県阿蘇市の阿蘇神社とともに「日本三大楼門」のひとつに数えられています。
楼門は高さ約13mを誇る2階建ての建造物で、「鹿島神宮楼門」として単独で国の重要文化財に指定されています。また、楼門の左右から延びる回廊も鹿嶋市指定有形文化財となっており、楼門と一体となった美しい景観をつくり出しています。
現在の楼門が建立されたのは1634年(寛永11年)。常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房が、徳川3代将軍・徳川家光の病気平癒を鹿島神宮の大宮司・則広に祈願したことに始まります。その後、家光が快方に向かったことから、その御礼として頼房が楼門を奉納しました。
楼門
建立方法にも興味深い逸話が残っています。楼門の部材は鹿島で加工されたのではなく、江戸・浅草にあった水戸藩下屋敷で約130人もの大工によって切り組みが行われました。その後、加工を終えた材木を舟や筏に載せて鹿島まで運び、現地で組み立てたと伝えられています。江戸から大量の建築材を水路で運んで造り上げた、江戸時代初期の大規模な建築事業でした。
現在では朱塗りの楼門が印象的ですが、建立当初から現在と同じ姿だったわけではありません。1940年(昭和15年)に行われた大修理の際に丹塗りが施され、現在につながる鮮やかな朱色の楼門となりました。さらに昭和40年代(1965~1974年)には屋根が葺き替えられ、それまでの檜皮葺から銅板葺へ変更されています。
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香取神宮との共通点

楼門をくぐる前には、頭上に掲げられた大きな扁額にも注目してみてください。この扁額を書いたのは、日本海海戦で知られる海軍元帥・東郷平八郎です。
楼門 扁額
実は、東国三社のひとつである香取神宮の楼門にも東郷平八郎が揮毫した扁額が掲げられています。ただし、両者には興味深い違いがあります。鹿島神宮の扁額には、揮毫した東郷平八郎本人の名前が記されていません。
これは天皇陛下が鹿島神宮を参拝されることになった際、「陛下の上に自分の名前があっては失礼にあたる」と考えた東郷平八郎が、自ら署名を消したためと伝えられています。香取神宮と鹿島神宮の両方を訪れるなら、2つの楼門と扁額を見比べてみるのも面白い楽しみ方です。
香取神宮との扁額の違い
楼門の左右には随身像も安置されています。作者は三木宗策ですが、像が具体的に誰を表しているのかは分かっていません。香取神宮の随身像とは姿が異なるものの、一方が白い髭をたくわえた姿であることなどから、竹内宿禰と藤原鎌足ではないかと推測されることもあります。ただし、これは確定したものではありません。
楼門の随身像
日本三大楼門という格式、徳川頼房による建立、東郷平八郎の扁額、そして左右を守る随身像と、楼門だけでも見どころは豊富です。楼門をそのまま通り抜けるのではなく、朱塗りの建築美や扁額、随身像までじっくり眺めてから境内へ進んでみてください。

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