有名度
前頭御諸皇子神社
ごしょのうじんじゃ
山形県東田川郡庄内町清川字花崎227
山形県東田川郡庄内町清川字花崎227

かんたんご利益
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
御諸皇子神社は山形県東田川郡庄内町に鎮座する神社。御祭神は御諸別命の1柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創建年代は明らかではない。社伝では第10代崇神天皇の時代、四道将軍の1人である大彦命が北陸道へ派遣され、その後、御諸別命が父の大彦命に代わって東北地方の平定に赴いたと伝えられる。御諸別命はこの地で亡くなり、住民がその徳を慕ってまつったことを御諸皇子神社の創始とする。
平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には、出羽国田川郡の「御諸皇子神社」として記載された。
文治3年(1187)、源頼朝に追われて奥州平泉を目指した源義経一行が清川を通過し、御諸皇子神社に参拝したとの伝承が残る。
中世には庄内地方を支配した武藤氏から崇敬を受け、社殿造営などが行われたと伝えられる。
江戸時代には庄内藩主酒井家から崇敬を受け、社領の寄進や社殿の修復が行われた。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉と河合曾良は『おくのほそ道』の旅で最上川を下り、清川を経て羽黒山へ向かった。当時の清川は最上川舟運の河岸として栄えていた。
明治6年(1873)には郷社に列した。
境内には本殿、拝殿などが建ち、御諸別命の墓と伝えられる場所も残されている。例祭は5月1日に行われる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創建年代は明らかではない。社伝では第10代崇神天皇の時代、四道将軍の1人である大彦命が北陸道へ派遣され、その後、御諸別命が父の大彦命に代わって東北地方の平定に赴いたと伝えられる。御諸別命はこの地で亡くなり、住民がその徳を慕ってまつったことを御諸皇子神社の創始とする。
平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には、出羽国田川郡の「御諸皇子神社」として記載された。
文治3年(1187)、源頼朝に追われて奥州平泉を目指した源義経一行が清川を通過し、御諸皇子神社に参拝したとの伝承が残る。
中世には庄内地方を支配した武藤氏から崇敬を受け、社殿造営などが行われたと伝えられる。
江戸時代には庄内藩主酒井家から崇敬を受け、社領の寄進や社殿の修復が行われた。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉と河合曾良は『おくのほそ道』の旅で最上川を下り、清川を経て羽黒山へ向かった。当時の清川は最上川舟運の河岸として栄えていた。
明治6年(1873)には郷社に列した。
境内には本殿、拝殿などが建ち、御諸別命の墓と伝えられる場所も残されている。例祭は5月1日に行われる。
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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
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