有名度
前頭大物忌神社
おおものいみじんじゃ
秋田県由利本荘市森子字八乙女下99
秋田県由利本荘市森子字八乙女下99

かんたんご利益
- 健康
- 仕事
大物忌神社には
「健康系」「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 病気平癒
御祭神
宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「大物忌系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大物忌神社は秋田県由利本荘市に鎮座する神社。御祭神は宇迦之御魂神の1柱をまつる。
大物忌神社が鎮座する八乙女山は、鳥海山北麓に位置する。由利本荘市に伝わる縁起書では、養老年間(717~724)に鳥海山権現を勧請し、その7年後に社殿を建立して、この地を八乙女山と名付けたと伝える。一方、秋田県神社庁の由緒では、養老年間に鳥海山大物忌神社を勧請して遥拝所とし、貞観3年(861)5月8日に社殿を建立したと伝えている。
中世に修験道が盛んになると、鳥海山の山麓には遥拝所や修行の場が形成された。森子は羽黒派滝沢修験の活動拠点となり、八乙女山の社は鳥海山へ向かう滝沢口の遥拝所となった。
神仏習合の時代には、鳥海山の大物忌神の本地を薬師如来とし、森子の社も江戸時代には薬師堂と呼ばれた。薬師堂には薬師三尊像と十二神将像が安置された。近世には鳥海山への参詣が広まり、東北各地から「道者」と呼ばれる参詣者が訪れた。江戸時代中期以降には登拝が盛んになり、修験者や参詣者は森子から滝沢口登拝道を通って鳥海山へ向かった。
歴代の地頭から崇敬を受け、元和年間(1615~1624)以降は本荘藩主六郷氏の崇敬を受けた。享保3年(1718)8月には社殿が改築された。安政2年(1855)には現在の拝殿及び幣殿の前身となる堂宇が建立され、棟札には大工棟梁として森子村三之丞らの名が記されている。当時は薬師如来を祀る堂宇であった。
明治36年(1903)9月9日に8反3畝29歩が境内地への編入を許可された。明治43年(1910)4月2日には大平沢の無格社田之神神社と明法の稲荷神社が合併され、明治44年(1911)4月には社殿が改造された。
大正4年(1915)には現在の本殿が建立され、棟札には大工棟梁として畠山清治の名が記されている。それまで薬師如来を祀っていた堂宇は拝殿へ転用され、建物の背面が増築された。昭和25年(1950)には本殿と社殿の屋根が銅板葺に改められた。
森子から鳥海山へ続く滝沢口登拝道は、江戸時代から昭和20年代まで修験者が利用した道である。社殿から東由利原高原の吹上まで、道幅約1.5m、長さ1.218kmの旧道が残り、2016年10月3日に国指定史跡「鳥海山」へ追加指定された。
境内へは一ノ鳥居から約300段の急な石段が続く。約150段の地点には神楽座跡があり、かつてはここから上が聖地とされていた。女人禁制は戦後まで続き、女性は上段へ登ることを許されていなかった。
本殿は大正4年(1915)建立の木造平屋建で、建築面積19㎡、3間社流造、銅板葺である。周囲に高欄付きの切目縁を巡らせ、庇の虹梁には雲龍の彫刻が施されている。2011年7月25日に国の登録有形文化財となった。
拝殿及び幣殿は安政2年(1855)建立の木造平屋建で、建築面積98㎡、入母屋造銅板葺である。正面に千鳥破風と軒唐破風を備えた1間向拝を設け、繋虹梁の上には一対の力士像を置く。本殿とともに2011年7月25日に国の登録有形文化財となった。
例大祭は毎年4月第3日曜日に行われる。米俵10俵分ともいわれる神輿を氏子の若者たちが担ぎ、約300段の急な石段を登って社殿を目指す。
大物忌神社が鎮座する八乙女山は、鳥海山北麓に位置する。由利本荘市に伝わる縁起書では、養老年間(717~724)に鳥海山権現を勧請し、その7年後に社殿を建立して、この地を八乙女山と名付けたと伝える。一方、秋田県神社庁の由緒では、養老年間に鳥海山大物忌神社を勧請して遥拝所とし、貞観3年(861)5月8日に社殿を建立したと伝えている。
中世に修験道が盛んになると、鳥海山の山麓には遥拝所や修行の場が形成された。森子は羽黒派滝沢修験の活動拠点となり、八乙女山の社は鳥海山へ向かう滝沢口の遥拝所となった。
神仏習合の時代には、鳥海山の大物忌神の本地を薬師如来とし、森子の社も江戸時代には薬師堂と呼ばれた。薬師堂には薬師三尊像と十二神将像が安置された。近世には鳥海山への参詣が広まり、東北各地から「道者」と呼ばれる参詣者が訪れた。江戸時代中期以降には登拝が盛んになり、修験者や参詣者は森子から滝沢口登拝道を通って鳥海山へ向かった。
歴代の地頭から崇敬を受け、元和年間(1615~1624)以降は本荘藩主六郷氏の崇敬を受けた。享保3年(1718)8月には社殿が改築された。安政2年(1855)には現在の拝殿及び幣殿の前身となる堂宇が建立され、棟札には大工棟梁として森子村三之丞らの名が記されている。当時は薬師如来を祀る堂宇であった。
明治36年(1903)9月9日に8反3畝29歩が境内地への編入を許可された。明治43年(1910)4月2日には大平沢の無格社田之神神社と明法の稲荷神社が合併され、明治44年(1911)4月には社殿が改造された。
大正4年(1915)には現在の本殿が建立され、棟札には大工棟梁として畠山清治の名が記されている。それまで薬師如来を祀っていた堂宇は拝殿へ転用され、建物の背面が増築された。昭和25年(1950)には本殿と社殿の屋根が銅板葺に改められた。
森子から鳥海山へ続く滝沢口登拝道は、江戸時代から昭和20年代まで修験者が利用した道である。社殿から東由利原高原の吹上まで、道幅約1.5m、長さ1.218kmの旧道が残り、2016年10月3日に国指定史跡「鳥海山」へ追加指定された。
境内へは一ノ鳥居から約300段の急な石段が続く。約150段の地点には神楽座跡があり、かつてはここから上が聖地とされていた。女人禁制は戦後まで続き、女性は上段へ登ることを許されていなかった。
本殿は大正4年(1915)建立の木造平屋建で、建築面積19㎡、3間社流造、銅板葺である。周囲に高欄付きの切目縁を巡らせ、庇の虹梁には雲龍の彫刻が施されている。2011年7月25日に国の登録有形文化財となった。
拝殿及び幣殿は安政2年(1855)建立の木造平屋建で、建築面積98㎡、入母屋造銅板葺である。正面に千鳥破風と軒唐破風を備えた1間向拝を設け、繋虹梁の上には一対の力士像を置く。本殿とともに2011年7月25日に国の登録有形文化財となった。
例大祭は毎年4月第3日曜日に行われる。米俵10俵分ともいわれる神輿を氏子の若者たちが担ぎ、約300段の急な石段を登って社殿を目指す。
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出典
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/
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