有名度
十両稲田姫神社
いなだひめじんじゃ
宮城県柴田郡村田町大字足立字明神68
宮城県柴田郡村田町大字足立字明神68

かんたんご利益
- 恋愛
- 子供
稲田姫神社には
「恋愛系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
庁
縁結び 子育て
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
稲田姫神社は宮城県柴田郡村田町に鎮座する神社。御祭神は櫛稲田姫神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
日本武尊が東征の際、武蔵国足立郡の氷川神社へ参詣し、その分霊を当地に奉斎したことに始まると伝えられる。当地が足立と呼ばれるようになったのも、この伝承にちなむという。もとは足立郷字社地神に鎮座していたが、慶長14年(1609)4月に現在の筑地山へ遷座した。
慶長16年(1611)、伊達政宗の夫人が授乳を祈願したところ霊験があったとされ、その報賽として金子一両二分を寄進した。また、拝殿の両側には右相楓と左相楓が植えられ、伊達家との関わりを伝えるものとなった。
元禄16年(1703)には伊達吉村の命を受け、郡司、地頭、代官らによって社殿が造営された。その後も享保年間(1716~1736)、宝暦年間(1751~1764)、天明年間(1781~1789)、寛政年間(1789~1801)に修造が重ねられ、社殿の維持が図られた。
明治初期には神仏分離に伴って現在の社号へ改め、明治5年(1872)に村社へ列した。さらに大正10年(1921)には神饌幣帛料供進社に指定され、地域の鎮守として祭祀が受け継がれている。
社格は旧村社。
日本武尊が東征の際、武蔵国足立郡の氷川神社へ参詣し、その分霊を当地に奉斎したことに始まると伝えられる。当地が足立と呼ばれるようになったのも、この伝承にちなむという。もとは足立郷字社地神に鎮座していたが、慶長14年(1609)4月に現在の筑地山へ遷座した。
慶長16年(1611)、伊達政宗の夫人が授乳を祈願したところ霊験があったとされ、その報賽として金子一両二分を寄進した。また、拝殿の両側には右相楓と左相楓が植えられ、伊達家との関わりを伝えるものとなった。
元禄16年(1703)には伊達吉村の命を受け、郡司、地頭、代官らによって社殿が造営された。その後も享保年間(1716~1736)、宝暦年間(1751~1764)、天明年間(1781~1789)、寛政年間(1789~1801)に修造が重ねられ、社殿の維持が図られた。
明治初期には神仏分離に伴って現在の社号へ改め、明治5年(1872)に村社へ列した。さらに大正10年(1921)には神饌幣帛料供進社に指定され、地域の鎮守として祭祀が受け継がれている。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
