須岐神社 宮城県 - 神社ファン

有名度

前頭

須岐神社

すきじんじゃ

宮城県黒川郡大衡村駒場字下宮前4

😞 🙁 😐 🙂 😄

宮城県黒川郡大衡村駒場字下宮前4

かんたんご利益

  • 健康
  • 仕事
  • 厄除
須岐神社には

「健康系」「仕事系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

災難除け 疫病除け 五穀豊穣

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「祇園・須佐系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

須岐神社は宮城県黒川郡大衡村に鎮座する神社。御祭神は素戔鳴尊の1柱をまつる。
社格は式内社であり、旧郷社。
創祀の年代は明らかでない。社伝では、古くは「韓鋤神社」とも称し、現在地の西方にある宮高森に鎮座していたと伝えられる。延長5年(927)に完成した『延喜式』神名帳には、陸奥国黒川郡4座の一社として「須伎神社」が記載されている。一方、江戸時代の『安永風土記』には、宮床村の鶴峯八幡宮境内にあった鳴上賀茂明神宮を須伎神社とする記録がある。
建久2年(1191)、当地の地頭であった児玉弥太郎重成が宮高森から現在地へ遷したと伝えられ、以後は赤崎大明神と称された。『封内風土記』には、駒場の旧主であった児玉右近が社地に椚1000本を植えたことが記され、社地は「千本椚」とも呼ばれた。
享保19年(1734)、社人の能登守源左衛門が神祇官領吉田兼雄に請い、御神体を祀ったと伝えられる。延享3年(1746)には仙台藩主伊達宗村が病気平癒を祈願し、茂庭求馬が社参した。宝暦10年(1760)には、神主斎藤能登守の時代に社殿が新たに造営された。
明治5年(1872)3月に郷社へ列し、明治43年(1910)3月には神饌幣帛料供進社に指定された。昭和25年(1950)7月には神社本庁の被包括宗教法人となった。
宝暦10年(1760)造営の本殿は流造、こけら葺で、現在は覆屋によって保護され、大衡村の有形文化財に指定されている。拝殿には江戸時代中期から昭和期にかけて奉納された多数の絵馬が残る。拝殿と長床は大正13年(1924)に再建され、当時の拝殿は入母屋造の萱葺、長床は寄棟造の萱葺であった。
例祭は毎年5月3日に行われ、子ども神輿と本神輿が地域を渡御する。
  • 式内社(小)
  • 郷社
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神社詳細

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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/