有名度
十両美渡神社
みわたりじんじゃ
岩手県一関市花泉町油島字明賀山1-1
岩手県一関市花泉町油島字明賀山1-1

かんたんご利益
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
美渡神社は岩手県一関市に鎮座する神社。御祭神は高皇産霊神の1柱をまつる。
延暦20年(801)、坂上田村麻呂が東夷征討のため当地へ下向した際、この地に軍勢を留め、祭壇を築いて戦勝を祈願したことに始まると伝えられている。祈願ののち東夷を平定した田村麻呂は、上洛の途上で再び当地に立ち寄り、神恩に報いるため報賽を行ったという。
大同2年(807)には社殿建立の沙汰があり、社領を下賜されるとともに「鬼渡大明神」の神号を奉った。以後、気仙の邑主である金為時が春秋の代参を欠かさず、奥州鎮守府将軍の源頼義父子や平泉歴代の府主からも崇敬を受けるなど、当地の有力者や武将から篤い信仰を集めた。
永徳2年(1382)には葛西詮清が改めて社領を定め、社殿の修築を行った。しかし天正18年(1560)、秀吉による奥州仕置に伴う葛西氏の擾乱のなか、邑主の上油田金七郎が没落すると、兵火によって社殿を焼失し、社領や祭田なども没収された。これにより往時の社勢を失ったものの、宮司役が焼け跡を払い、小祠を建てて祭祀を再興した。その後は古来の祭祀を受け継ぎ、3月15日と9月15日を大祭日として地域の人々が集い、崇敬を寄せてきた。
宝暦9年(1759)には社殿を改築し、明治8年(1875)5月には油島村の村社に列格した。明治12年(1879)には、それまでの鬼渡大明神から美渡神社へと改称した。さらに昭和2年(1927)には拝殿を改築し、本殿とともに屋根を銅板葺へと改め、現在へと受け継がれている。
延暦20年(801)、坂上田村麻呂が東夷征討のため当地へ下向した際、この地に軍勢を留め、祭壇を築いて戦勝を祈願したことに始まると伝えられている。祈願ののち東夷を平定した田村麻呂は、上洛の途上で再び当地に立ち寄り、神恩に報いるため報賽を行ったという。
大同2年(807)には社殿建立の沙汰があり、社領を下賜されるとともに「鬼渡大明神」の神号を奉った。以後、気仙の邑主である金為時が春秋の代参を欠かさず、奥州鎮守府将軍の源頼義父子や平泉歴代の府主からも崇敬を受けるなど、当地の有力者や武将から篤い信仰を集めた。
永徳2年(1382)には葛西詮清が改めて社領を定め、社殿の修築を行った。しかし天正18年(1560)、秀吉による奥州仕置に伴う葛西氏の擾乱のなか、邑主の上油田金七郎が没落すると、兵火によって社殿を焼失し、社領や祭田なども没収された。これにより往時の社勢を失ったものの、宮司役が焼け跡を払い、小祠を建てて祭祀を再興した。その後は古来の祭祀を受け継ぎ、3月15日と9月15日を大祭日として地域の人々が集い、崇敬を寄せてきた。
宝暦9年(1759)には社殿を改築し、明治8年(1875)5月には油島村の村社に列格した。明治12年(1879)には、それまでの鬼渡大明神から美渡神社へと改称した。さらに昭和2年(1927)には拝殿を改築し、本殿とともに屋根を銅板葺へと改め、現在へと受け継がれている。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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