有名度
十両山祇神社
やまづみじんじゃ
岩手県北上市鳩岡崎2-22-1
岩手県北上市鳩岡崎2-22-1

かんたんご利益
- 仕事
- 安全
山祇神社には
「仕事系」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
諸産業守護 海上安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「三島・大山祇系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
山祇神社は岩手県北上市に鎮座する神社。御祭神は大山津見命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
当社はもと太子堂と称した。太子堂の本尊である聖徳太子像は、嘉祥年間(848~851)に当社は、もと太子堂と称した。太子堂の本尊である聖徳太子像は、嘉祥年間(848~851)に慈覚大師が造立し、京都の醍醐寺から勧請されたものと伝えられる。この像は、藤原氏の祖とされる日野民部藤原弘宗に授けられ、以後、日野家で本尊として守られてきたという。
30代目の日野将監は奥州和賀二子へ下り、天文14年(1545)に和賀氏の家臣となった際、聖徳太子像も当地へ移して安置した。天正18年(1590)、和賀氏が滅亡すると、32代目の藤原資道は鶴岡崎古舘へ移住し、機織玄蕃と称した。資道は当地に一宇を建立して太子像を奉斎し、これが太子堂の始まりになったと伝えられる。
明治維新後、神仏分離に伴って大山祇命を合祀し、山祇神社へと改められた。高台にある境内には約30基の記念碑が並び、地域の歩みを伝えている。春と秋には例大祭が行われ、秋の例祭は毎年9月22日に執り行われる。
社格は旧村社。
当社はもと太子堂と称した。太子堂の本尊である聖徳太子像は、嘉祥年間(848~851)に当社は、もと太子堂と称した。太子堂の本尊である聖徳太子像は、嘉祥年間(848~851)に慈覚大師が造立し、京都の醍醐寺から勧請されたものと伝えられる。この像は、藤原氏の祖とされる日野民部藤原弘宗に授けられ、以後、日野家で本尊として守られてきたという。
30代目の日野将監は奥州和賀二子へ下り、天文14年(1545)に和賀氏の家臣となった際、聖徳太子像も当地へ移して安置した。天正18年(1590)、和賀氏が滅亡すると、32代目の藤原資道は鶴岡崎古舘へ移住し、機織玄蕃と称した。資道は当地に一宇を建立して太子像を奉斎し、これが太子堂の始まりになったと伝えられる。
明治維新後、神仏分離に伴って大山祇命を合祀し、山祇神社へと改められた。高台にある境内には約30基の記念碑が並び、地域の歩みを伝えている。春と秋には例大祭が行われ、秋の例祭は毎年9月22日に執り行われる。
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神社詳細
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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