有名度
十両走湯神社
そうとうじんじゃ
岩手県紫波郡紫波町二日町字向山171
岩手県紫波郡紫波町二日町字向山171

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 勝負
走湯神社には
「恋愛系」「健康系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
健康運向上 勝負運向上 縁結び
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「伊豆山系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
走湯神社は岩手県紫波郡紫波町に鎮座する神社。御祭神は天忍穂耳命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
創建年代は明らかではないが、高水寺を開いた禅修が伊豆国の走湯権現を勧請し、高水寺の鎮守としたことに始まると伝えられる。古くは走湯権現、大槻観音とも称され、称徳天皇の勅願により神護景雲年間(767~770)に一丈の観自在菩薩像が安置されたとの伝承も残されている。
文治5年(1189)9月、奥州合戦で陣ヶ岡に滞在した源頼朝は、高水寺の住僧から軍勢が金堂の壁板を剥ぎ取ったとの訴えを受けた。同月11日、頼朝は陣ヶ岡を出発する際、高水寺の鎮守である走湯権現に鏑矢2本を奉納し、社殿後方にそびえていた大槻の木へ射立てたと伝えられている。
旧社領は斯波氏から50石余を与えられていたが、天正16年(1588)の兵火によって古記録などを焼失した。また、社殿後方にあった大槻の木も、慶長年間(1596~1615)に東風によって折れたと伝えられる。寛永年間(1624~1644)に高水寺が盛岡へ移転すると神社のみがこの地に残され、その後は盛岡藩が修補のため役人を派遣するとともに社領を寄進した。例祭には盛岡の高水寺から祭主が訪れ、その往復には駅伝の使用が許されるなど、藩の厚い保護を受けた。幕や提灯には南部家の向鶴紋が用いられている。
その後、愛宕神社を合祀し、境内には諏訪神社、天満宮、八坂神社、菊池稲荷社、八幡宮、道祖神がまつられている。また、境内にあるケヤキは紫波町指定文化財となっている。例祭日は8月27日である。
社格は旧村社。
創建年代は明らかではないが、高水寺を開いた禅修が伊豆国の走湯権現を勧請し、高水寺の鎮守としたことに始まると伝えられる。古くは走湯権現、大槻観音とも称され、称徳天皇の勅願により神護景雲年間(767~770)に一丈の観自在菩薩像が安置されたとの伝承も残されている。
文治5年(1189)9月、奥州合戦で陣ヶ岡に滞在した源頼朝は、高水寺の住僧から軍勢が金堂の壁板を剥ぎ取ったとの訴えを受けた。同月11日、頼朝は陣ヶ岡を出発する際、高水寺の鎮守である走湯権現に鏑矢2本を奉納し、社殿後方にそびえていた大槻の木へ射立てたと伝えられている。
旧社領は斯波氏から50石余を与えられていたが、天正16年(1588)の兵火によって古記録などを焼失した。また、社殿後方にあった大槻の木も、慶長年間(1596~1615)に東風によって折れたと伝えられる。寛永年間(1624~1644)に高水寺が盛岡へ移転すると神社のみがこの地に残され、その後は盛岡藩が修補のため役人を派遣するとともに社領を寄進した。例祭には盛岡の高水寺から祭主が訪れ、その往復には駅伝の使用が許されるなど、藩の厚い保護を受けた。幕や提灯には南部家の向鶴紋が用いられている。
その後、愛宕神社を合祀し、境内には諏訪神社、天満宮、八坂神社、菊池稲荷社、八幡宮、道祖神がまつられている。また、境内にあるケヤキは紫波町指定文化財となっている。例祭日は8月27日である。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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