有名度
十両大立石神社
おおたていしじんじゃ
岩手県宮古市大字老木31字新野10
岩手県宮古市大字老木31字新野10

かんたんご利益
- 健康
大立石神社には
「健康系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
病気平癒
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「少彦名系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大立石神社は岩手県宮古市に鎮座する神社。御祭神は少彦名命の1柱をまつる。
根城城主であった閉伊陸奥守頼基が在城していた頃、この神社は頼基から篤い崇敬を受けたと伝えられている。かつての例祭では流鏑馬神事が盛大に行われ、閉伊川沿いには馬場として使われた土地も残されていた。後世になっても、例祭には土地の人々が弓を携えて参列する習わしが受け継がれ、往時の流鏑馬の名残を今に伝えていた。
社地の南西約1里半には、大立石と呼ばれる山がそびえ、その山頂には霊岩とされる巨岩が立つ。この巨岩は神社の奥の院とされ、例祭の日には近郷の人々が山頂まで登拝し、信仰をささげてきた。
神社は古く牛伏地区の鎮守としてまつられ、狗留孫仏深山大権現と称していたが、明治維新後の神仏分離により大立石神社へ改称された。明治7年(1874)1月4日には、岩手県庁から神璽を勧請している。
大正7年(1918)4月19日、蟇目山から発生した大火によって周辺5か村が焼失し、社殿と境内の立木も類焼した。その後、焼損した木材を売却した代金を再建資金に充て、大正8年(1919)秋に3棟の社殿が再建された。例祭は毎年4月15日に執り行われ、現在も地域の信仰を集めている。
根城城主であった閉伊陸奥守頼基が在城していた頃、この神社は頼基から篤い崇敬を受けたと伝えられている。かつての例祭では流鏑馬神事が盛大に行われ、閉伊川沿いには馬場として使われた土地も残されていた。後世になっても、例祭には土地の人々が弓を携えて参列する習わしが受け継がれ、往時の流鏑馬の名残を今に伝えていた。
社地の南西約1里半には、大立石と呼ばれる山がそびえ、その山頂には霊岩とされる巨岩が立つ。この巨岩は神社の奥の院とされ、例祭の日には近郷の人々が山頂まで登拝し、信仰をささげてきた。
神社は古く牛伏地区の鎮守としてまつられ、狗留孫仏深山大権現と称していたが、明治維新後の神仏分離により大立石神社へ改称された。明治7年(1874)1月4日には、岩手県庁から神璽を勧請している。
大正7年(1918)4月19日、蟇目山から発生した大火によって周辺5か村が焼失し、社殿と境内の立木も類焼した。その後、焼損した木材を売却した代金を再建資金に充て、大正8年(1919)秋に3棟の社殿が再建された。例祭は毎年4月15日に執り行われ、現在も地域の信仰を集めている。
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神社詳細
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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