巖鬼山神社 - 神社ファン

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巖鬼山神社

がんきさんじんじゃ

青森県弘前市十腰内字猿ケ沢78-17

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青森県弘前市十腰内字猿ケ沢78-17

かんたんご利益

  • 仕事
  • 安全
巖鬼山神社には

「仕事系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

諸産業守護 海上安全

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

三島・大山祇系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

巖鬼山神社は青森県弘前市十腰内に鎮座する神社。御祭神は大山祇神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
草創には複数の伝承が残る。延暦15年(796年)、岩木山北麓に巖鬼山西方寺観音院が開かれたと伝えられる。また、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、敵軍退散を祈願して観世音菩薩を勧請し、堂宇を再建したとも伝えられている。
岩木山神社の社伝では、延暦19年(800年)に坂上田村麻呂が岩木山頂の社殿を再建し、山麓の十腰内に下居宮を建立したと伝える。寛治5年(1091年)、神託によって下居宮は現在の岩木山神社が鎮座する百沢へ遷され、その旧跡に巖鬼山西方寺観音院が営まれたとされる。
巖鬼山西方寺観音院は十一面観世音菩薩を本尊とし、十腰内観世音とも称された。江戸時代には岩木山三所大権現の別当寺院に関わる観音院として記録され、貞享4年(1687年)の十腰内村検地帳には喜蔵抱えの観音堂が記されている。
文安5年(1448年)には野火によって焼失し、長見氏が再建したと伝えられる。その後、津軽為信が堂宇を修復し、慶長9年(1604年)8月17日には為信の長男・津軽信建が鰐口を奉納した。鰐口には「奉納大檀那津軽総領主宮内大輔藤原臣信建」の銘が刻まれている。この鰐口は後に境内から失われたが、嘉永2年(1849年)に弘前城下の田茂木町で発見され、巖鬼山西方寺観音院へ返納された。現在は巖鬼山神社が所蔵し、昭和38年(1963年)4月10日に青森県重宝に指定されている。
現在の本殿は元禄4年(1691年)建立の旧観音堂である。棟札には「十一面観世音精舎一宇」と記され、桁行3間、梁間2間の寄棟造で、正面に1間の向拝を備える。屋根は現在鉄板葺であるが、建立当初は茅葺であった。内部には切妻造・板葺の一間建築型厨子が安置され、本殿、厨子、元禄4年の棟札は平成5年(1993年)4月16日に青森県重宝へ指定された。
境内には樹齢約1000年とされる2本の大杉がそびえる。樹高はいずれも約41メートル、幹周は約10メートルと約8.5メートルを測り、昭和31年(1956年)5月14日に青森県天然記念物に指定されている。
  • 村社
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出典
青森県神社庁
http://www.aomori-jinjacho.or.jp/