徳大寺公継
とくだいじきんつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

藤原豪信(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 公卿
平安~鎌倉 [1175年~1227年]
徳大寺公継とは?
徳大寺公継《とくだいじ きんつぐ》(1175年~1227年)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人である。藤原北家閑院流徳大寺家の出身で、父は左大臣・徳大寺実定。初名を公嗣といい、のちに公継へ改めた。若くして朝廷に仕え、参議、権中納言、中納言、権大納言、大納言、内大臣、右大臣を経て、元仁元年(1224年)に左大臣へ昇った。官位は従一位に至り、野宮左大臣とも称された。承久3年(1221年)の承久の乱に際しては、後鳥羽上皇が西園寺公経を殺害しようとした際、これを諫めたと伝えられる。和歌にも優れ、後鳥羽院歌壇で活躍し、その歌は『新古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に採録されている。また、日記『宮槐記《きゅうかいき》』を残し、鎌倉時代初期の朝廷や公家社会を知る史料となっている。嘉禄3年(1227年)に53歳で死去した。 徳大寺公継は、三重県津市の阿由多神社で藤原公継の名により祭神の一柱として祀られている。同社は明治40年(1907年)に安濃地区内の神社や小祠を合祀しており、公継もその際に合祀された祭神の一柱とみられる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
阿由多神社
(三重県津市安濃町安濃1556)
