立花鑑壽
たちばなあきひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

福厳寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(柳河藩)
江戸 [1769年~1820年]
立花鑑壽とは?
立花鑑壽(1769-1820)は江戸時代の武士。立花鑑通の子で立花寿俶らの親。筑後国(福岡県)柳河藩主・立花家に5男として生まれる。初めの名は通尹で通称を図書とした。叔父で家臣の立花通堅の養子となったが、嫡男・立花鑑門と次いで嗣子となった4男・立花鑑一が家督を継ぐ前に死去し、3男・立花通厚は相続を固辞したため、第8代藩主となり鑑壽と名乗った。鑑壽の治世には、藩政改革を主導してきた家老の立花寿賰、戸次通栄ら改革派が「豪傑組」を組織したが、保守派で家老の小野勘解由によって数十名が免職される事件が起きている。また筑後川での漁業権をめぐり、佐賀藩と久留米藩との間で死者も出る争いが起きていたが、鑑壽が間に入って和解させたとの記録が残る。52歳で死去し、家督は養嗣子とした兄・鑑一の長子・立花鑑賢が継いだ。 鑑壽は三柱神社(福岡県柳川市)で祭神としてまつられている。父・鑑通によって柳川城三の丸の長久寺境内に社が建立され、立花道雪(戸次鑑連)を梅岳霊神としてまつったことを起源とする。鑑賢により、城の鬼門にあたる現在の地に遷座され三柱神社と改称された。歴代藩主の内、初代・立花宗茂、鑑通、鑑壽、鑑賢がまつられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
三柱神社
(福岡県柳川市三橋町高畑323−1)
