由良兵庫助
ゆらひょうごのすけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
南北朝 [~1358年]
由良兵庫助とは?
由良兵庫助(?-1358)は南北朝時代の武士。南朝方に属し、新田義貞の2男・新田義興に仕えた。東京都世田谷区の多摩川沿岸の小島、兵庫島の由来になった武将。足利尊氏に敗れた義興一行は越後に逃れたが、尊氏の死後再び挙兵し鎌倉を目指した。尊氏の子・足利基氏の策略により関東管領の畠山国清に誘い出され、武蔵国(東京都)矢口の渡しで主従十数名が謀殺された。言い伝えでは、船で川を渡るところを敵の軍勢に襲われ、義興は自害し、敵と戦い果てた従者もいたが、兵庫助は兄弟で互いに首を切り落として自害したとされる。兵庫助の遺体は多摩川の流れに乗り小島へと流れ着き、祟りを恐れた村人によって小島に葬られたと伝わる。矢口の渡しでの事件は、江戸時代に平賀源内作の浄瑠璃「神霊矢口渡」によって演じられ広く知られるようになった。この中で兵庫助は、義興の遺児を守る忠臣として描かれ、「由良兵庫館の段」などで重要な役回りを演じている。 兵庫助は十寄神社(東京都大田区)で祭神としてまつられている。矢口の渡しで謀殺された主従の忠義心を敬い、村人らが社を建立し創建したとされる。近くの新田神社は主君・義興を主祭神とし、同時期に創建された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
十寄神社
(東京都大田区矢口二丁目17番28)
