有馬頼徸
ありまよりゆき
- 歴史的人物
- 男神・男性

篠山神社所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(久留米藩)
江戸 [1714年~1783年]
有馬頼徸とは?
有馬頼徸(1714-1783)は、江戸時代中期の大名、数学者。久留米藩有馬家8代。筑後国久留米藩7代藩主。父は有馬則維。関流算術を修得し、当時としては最高水準の和算書である「拾璣算法」を記し、素数の個数を調べる方法は「久留島ー有馬」の定理として有名で、算学大名として知られている。1729年、父・則維が隠居したため16歳で家督を継いだが、若年の為藩政は重臣が務めた。1737年頃から頼徸が藩政を行い始めたが、この年に領内は飢饉に見舞われる。頼徸は領民を救うため、救済金と救済米を施し、広く意見を求めるために徳川吉宗に倣い目安箱を設置した。頼徸は出来る限りの善政を敷いていたが、当時の九州各藩では飢饉が相次ぎ、百姓一揆が頻発していた。久留米藩も類にもれず、一揆が発生している。頼徸は一揆の首謀者はもちろん、藩の責任者の家老・稲次因幡、有馬石見らも併せて処刑するなど厳しい一面を見せた。しかしその者らの霊を鎮めるための祭礼なども行っており、藩主としての手腕は幕府からも認められ、それまでの歴代藩主よりも高い官位を授かっている。1783年、70歳の生涯を閉じた。 福岡県大川市向島にある若津神社は、菅原道真とともに頼徸を主祭神として祀っている。春には頼徸に因んだ「少将祭り」が執り行われ賑わいを見せる。
ご神徳
学業成就(数学)
祀られている主な神社
篠山神社
(福岡県久留米市篠山町444)
