有馬頼咸
ありまよりしげ
- 歴史的人物
- 男神・男性

篠山神社所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(久留米藩)
江戸~明治 [1828年~1881年]
有馬頼咸とは?
有馬頼咸(1828-1881)は、江戸時代後期から明治時代にかけての領主。筑後国久留米藩第11代藩主。久留米藩有馬家12代。父は有馬頼徳。1846年、第10代藩主の兄・頼永重篤、その養子となった。頼永が他界すると頼咸が家督を継ぐが、後継を巡って揉めた家臣団は尊王派と佐幕派なども入り交じり二極化し、激しく対立した。加えて、頼咸は将軍・家慶の養女・精姫を正室に迎えるため、御殿建築や婚儀に巨額の費用を投じて藩の財政逼迫に拍車をかけたが、これについて1850年に主君に奢侈を勧めたとして家臣同士の事件が発生している。翌年、ついに主君廃立の陰謀やその讒言を巡り尊王派の家臣が失脚する嘉永の大獄が起こり、以降の藩政は佐幕派が行うこととなった。尊王派の者たちは処刑されようとしていたが、長州藩などの交渉で赦免となる。大政奉還が起こると構図が逆転し、佐幕派は捕らえられ処刑された。1870年には奇兵隊から逃れた大楽源太郎が久留米へ入り、尊皇派は源太郎のクーデター計画に参加し、明治政府に発覚。このため頼咸は政府から謹慎を命じられている。翌年、廃藩置県により藩知事を免官され、華族となった。1881年、死去。 福岡県久留米市にある久留米城本丸址に鎮座する篠山神社は、頼永らとともに頼咸を御祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
篠山神社
(福岡県久留米市篠山町444)
