有馬頼永
ありまよりとう
- 歴史的人物
- 男神・男性

篠山神社所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(久留米藩)
江戸 [1822年~1846年]
有馬頼永とは?
有馬頼永(1822-1846)は、江戸時代後期の大名。筑後国久留米藩10代藩主、久留米藩有馬家11代。父は第9代藩主・有馬頼徳。四男だが1826年に世子に指名される。幼少時から聡明であったとされ、西洋の砲術に興味を抱いて藩士にも教育を奨励した。当時日本には琉球にイギリスやフランスの船が来航しており、オランダからも幕府に開国勧告などがなされていた。1844年、父・頼徳が江戸で死去すると頼永は家督を継いで、水戸学の影響を受けた村上守太郎らの支持を得て藩政改革を開始した。この改革には、5年間の倹約による緊縮財政や西洋軍制の導入、世界情勢調査、海防強化などが含まれている。海外の文化流入が激しい時代であり、藩内の藩医間にも漢方医学と蘭法医学が対立していたという。領内に大倹約令を発した頼永だったが、まもなく腎臓結核に倒れた。家督を継いでわずか2年後の1846年の夏、志半ばで若干25歳の生涯を終えた。暗愚な藩主が多い歴代久留米藩主の中、主体性をもって改革を推し進めた頼永は名君として高く評価されている。 福岡県久留米市篠山町の篠山神社は、初代藩主・有馬豊氏、7代藩主・頼徸らとともに頼永を主祭神として祀っている。明治時代に有志が豊氏と頼永の偉業を偲んで久留米城跡に祀ったのが始まりである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
篠山神社
(福岡県久留米市篠山町444)
