毛利敬親
もうしたかちか(よしちか)
- 歴史的人物
- 男神・男性

毛利博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング655位
- 藩主(長州藩)
江戸~明治 [1819年~1871年]
毛利敬親とは?
毛利敬親(1819-1871)は江戸時代末期の大名。父親は長州藩第11代藩主毛利斉元、母親は側室である原田氏。父斉元の死後、毛利斉広が第12代藩主となったが20日足らずで死亡し敬親が13代藩主の座に就いた。藩主となった敬親は村田清風を登用し藩内に質素倹約を旨とした財政改革に着手した。また、藩士の教育の面では藩校明倫館を城下町の中心地へ移転させ規模を拡大、後の吉田寅次郎(松蔭)を招き講義をさせた。ペリーが来航すると敬親は攘夷意見を提出。長州藩に洋式軍隊を取り入れ藩の体制強化を開始した。その後、八月一八日の政変、蛤御門の変などが勃発し京を追われ幕府と敵対する道を歩むことになるが、坂本龍馬の仲立ちにより薩長同盟を締結し明治新政府の中心的存在となっていく。この間、敬親は桂小五郎、高杉晋作、長井雅楽、大村益次郎ら有能な人材を次々と登用し、多くの事を家臣にゆだね「そうせい、そうせい」言っていたために「そうせい候」などとも呼ばれたが、人材登用と広い視野による決断には秀でた人物であったとも評されている。 敬親は山口県山口市にある野田神社に祭神として祀られている。野田神社は豊栄神社境内に忠正神社として建立され、翌年に地名から野田神社と改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
毛利慶親もうりたかちか
その他
