万里小路藤房
までのこうじふじふさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

国書刊行会(集古十種 パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 公卿
鎌倉~南北 [1296年~]
万里小路藤房とは?
万里小路藤房(1296-?)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての公卿。大納言・万里小路宣房の長男。藤原藤房とも呼ばれる。江戸時代の儒学者・安東省菴によって、平重盛や楠木正成とともに日本三忠臣の1人とされている。花園天皇ののち後醍醐天皇に仕え、蔵人頭などを経て中納言に叙されたが、1331年に後醍醐天皇の倒幕計画が露見したため、天皇とともに笠置山へ逃れた。1か月後、笠置山は陥落し敗走したが捕らえられ、まもなく解官された。1332年に幕府から遠流処分が通達されると藤沢城に籠居し、翌年に幕府が滅亡した後を見計らって上洛し、復官を果たした。その後は新政府で雑訴決断所の寄人や恩賞方四番のうち三番局の頭人に任命されるなど要職を務めていたが、1334年に突如として出家したという。この理由については著書などでも語られておらず、一切不明となっているが、要職を務め人生における絶頂期に突然出家願望を持つ例として足利尊氏などもおり、世の中を儚んで遁世したとの見方が有力である。出家後の足取りは不明で、各地に伝承が散見される。 東京都港区芝にある御穂鹿嶋神社は、藤房を主祭神として祀っている。古典落語「芝浜」の舞台として知られ、江戸時代より本芝両社と呼ばれ崇敬を集める。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
藤原藤房ふじわらのふじふさ
その他
