本多忠勝
ほんだただかつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

良玄寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1548年~1610年]
本多忠勝とは?
本多忠勝(1548-1610)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主、忠勝系本多家宗家初代。父は本多忠高。通称は平八郎。徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人として知られている。1560年の大高城兵糧入れで初陣を飾った。今川義元が死去し家康が今川家から独立すると、忠勝も従い牛久保城攻めなどに参戦。武功を挙げ1566年には旗本先手役に抜擢された。その後、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いや長篠の戦いなどでの忠勝の活躍は敵味方に関わらず賞賛を受けた。「蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり」と忠勝を詠んだ川柳も残っている。本能寺の変後、明智光秀は信長の盟友である家康も討たんとするが、忠勝は家康を励まし服部半蔵の助けを借り、決死の伊賀越えをした。豊臣秀吉との小牧長久手の戦いでも忠勝は家康の軍を助け、秀吉からも天下無双の東の大将と賞賛され、配下に迎えられた。関ヶ原の戦いでも自ら首級を挙げるなど功を挙げたが、徐々に病気がちになり、1609年に隠居、翌年に63歳の生涯を閉じた。 愛知県岡崎市康生町の岡崎城の跡地に鎮座する龍城神社は、忠勝を主祭神として祀っている東照宮の一つである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
本多平八郎ほんだへいはちろう
その他
祀られている主な神社
龍城神社
(愛知県岡崎市康生町561番)
