本間四郎三郎 神社の神様 - 神社ファン

本間四郎三郎

ほんましろうさぶろう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • その他

江戸 [1733年~1801年]

本間四郎三郎とは?

本間四郎三郎(1733-1801)は、江戸時代における出羽酒田の豪商。酒田本間氏3代当主。四郎三郎は士分格を得た後の名であり、それ以前は光丘と称した。相場師として著名な本間宗久の甥。本間家は古くから巨大な経済力を持っており、四郎三郎もまた父・庄五郎光寿の遺志を継いで酒田や西浜地区の防砂林の植林を行った。この事業は困難を極め、砂風と12年もの間格闘してようやく30kmの防砂林が完成した。この功績で四郎三郎は町年寄に任じられ、後に士分に取り立てられた。また、1768年には鶴岡城と酒田城の普請を成し、備蓄米として藩庁へ2万4千俵を献上した。この時の米が、1783年からの大飢饉の折に人々を救うこととなった。こうした功績で、幕府から安倍川、大井川、富士川の改修工事とその資金集めを依頼され、他にも様々な藩から財政再建の依頼が後を絶たなかった。また、酒田港に私費で灯台を立て事故防止に努め、最上川が凍った時期には氷上を歩く旅人の安全の為に板を張り、窮迫貧困であった米沢藩に度々金穀を貸し、藩士の借財を整理して本間家の資金から低利で借り換えさせるなど、人々の為に尽力した。 山形県酒田市日吉町にある光丘神社は、四郎三郎の功績を讃えて主祭神として祀っており、商売繁盛の御神徳があるとされている。

ご神徳

商売繁盛

祀られている主な神社

光丘神社
(山形県酒田市日吉町1-7-16)