牧野忠辰 神社の神様 - 神社ファン

牧野忠辰

まきのただとき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(長岡藩)

江戸 [1665年~1722年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 牧野忠辰とは?

    牧野忠辰(1665-1722)は江戸時代前期~中期にかけての人物。牧野忠成の子で、牧野勝三郎らの親。越後国(現在の新潟県)長岡藩主の長男として江戸で生まれる。1674年に父親が死去し、家督を継いで長岡藩4代藩主となったが、忠辰は当時まだ10歳だったため、大叔父の牧野忠清の補佐を受けながら政治を行った。1679年には駿河守に叙任。1681年の越後騒動では高田城の受け取り役を務めるなど、若くして重要な役どころをいくつも担った。藩政においては「諸士法制」の修正と改正による風紀の徹底、殖産興業政策の推進、消防制度の確立など、民政に尽力したことから「長岡藩三名君」の一人として評価されている。学問にも精通し、5代将軍・徳川綱吉の前で講義を行ったという記録もある。下馬将軍と称された大老・酒井忠清の娘と婚約していたが破談となり、以降正室は持たずに4人の側室を置いて1男2女を儲けた。しかし忠辰の子は全員早世したため、本多康慶の六男・忠寿を養子に取って跡継ぎとしている。 忠辰は神道を深く信じており、没後は「蒼柴霊神」の神号が贈られた。50周忌には大明神に昇格し、現在は新潟県長岡市「蒼柴神社」の主祭神として祀られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。