北畠天童丸
きたばたけてんどうまる
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
南北朝
北畠天童丸とは?
北畠天童丸(?-?)は南北朝時代の人物。北畠顕家の末子とも、北畠顕信の子孫ともいう。天童丸について記録した史料は非常に少なく、はっきりとした事績はわかっていない。南北朝時代に活躍した北畠家の武将であることは間違いないため、北畠顕能などと同一視する説も。そもそも北畠天童丸とは、山形県天童市に残る山城「天童城」の築城主として言い伝えられている名前である。しかし天童丸は文中年間(1372年~1374年)に最上氏の圧力を受けてこの地を去ったと記録されているため、天童丸が天童城を本拠としていた時期は短い。天童城はその後、1500年代後半まで「天童氏」を称する一族に支配されているが、この一族は天童丸を追い出した最上氏の系譜であるため、天童丸とは一切の血縁関係にない。城を追われた天童丸は以降歴史の表舞台には登場しないが、天童神社の記録には「最上氏に敗れたあと津軽鯵ヶ沢に逃れた」とあり、戦後も存命していたと推測される。 天童城は戊辰戦争の際に焼失しているが、かつて城のあった舞鶴山には「天童神社」が現存している。もともと天童神社は穀霊神の少名毘古那神を祀る神社だったが、後年になって天童丸を合祀した。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
天童神社
(山形県天童市大字北目字城山883-6)
