北畠親房
きたばたけちかふさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング655位
- 公卿
鎌倉~南北朝 [1293年~1354年]
北畠親房とは?
北畠親房(1293-1354)は鎌倉時代後期~南北朝時代の人物。北畠師重の子で、北畠顕家らの親。血縁上の祖父にあたる北畠師親の養嫡子として育てられた。北畠家は村上源氏の流れを汲む名門であったため、親房は生後僅か半年で叙爵している。後醍醐天皇が即位すると、吉田定房・万里小路宣房と共に「後の三房」と並び称され、政治の在り方に口を出すことを許された他、世良親王の養育を任されるなど、後醍醐天皇から非常に篤い信頼を得た。しかし世良親王が早世してしまい、養育役の親房は一時政治の世界から身を引いて「宗玄」の法名で出家。そのため、この時期に行われた後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒計画には加担していない。建武の新政が始まると親房は再び政界に復帰し、南朝の中心的な指導者として活躍していく。しかし親房が死去すると南朝は一気に衰退の道を辿ったため、そのカリスマ性が良くも悪くも南朝の運命を変えた。なお親房は歴史家としての顔も持ち、神道を紐解く上でも重要な史料「神皇正統記」の著者でもある。 親房を祀るのは、大阪府大阪市の「阿倍野神社」や、福島県伊達市の「霊山神社」など。これら南朝側の武将を祀る主要な15の神社を「建武中興十五社」と呼ぶ。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
霊山神社
(福島県伊達市霊山町大石古屋舘1)
阿部野神社
(大阪府阿倍野区北畠3-7-20)
北畠神社
(山形県天童市大字荒谷字小才勝421)
