北畠守親
きたばたけもりちか
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- 公卿
- 武人
南北朝
北畠守親とは?
北畠守親(?-1429)は南北朝時代の人物。北畠顕信の子で、北畠親能の親。生年は定かでないが、南朝の武将・北畠顕信の次男として生を受けた。そのため守親も南朝に仕え、のち父親の跡を継いで陸奥国(現在の宮城県)の国司を務めたとされる。ただし守親について記録した史料は非常に少なく、事績には不明な点が多い。「相馬文書」などの数少ない記録によれば、守親は宇津峰城を本拠としていたが、1352年に武蔵野合戦の新田軍を支援すべく、軍を率いて白河関まで南下したという。しかし足利尊氏の命を受けた結城朝常の軍に撃退され、あえなく南下に失敗。なんとか宇津峰城に帰還するも、翌年5月に城を落とされて出羽国(現在の山形県・秋田県)方面へ逃れたとみられる。その後の足跡は不明だが、南北朝合一にあたって入洛した南朝廷臣の一人「土御門前大納言」は守親の別名であったという説も。また子孫が戦禍を逃れて陸奥国浪岡に定着したことから、守親は浪岡北畠氏の庶流川原御所の祖とも伝えられる。 守親を祀るのは、福島県伊達市の霊山神社。ここは建武の新政以降、南朝に従った北畠氏の4人を祭神としており、守親の他にも北畠親房・顕家・顕信が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
