北畠顕能
きたばたけあきよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

美杉ふるさと資料館所蔵(CC 表示 3.0)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 公卿
- 武人
南北朝 [1326年~1383年]
北畠顕能とは?
北畠顕能(?-1383)は南北朝時代の人物。北畠親房の子で、北畠顕泰らの親。ただし北畠親房の三男とする通説の他に、血縁上は中院貞平の子で、親房の養子になったとする説もある。顕能は兄の顕家や顕信と同様、後醍醐天皇に仕えて活躍した南朝側の武将である。建武の新政が始まると、父兄と共に伊勢国(現在の三重県)に下り、伊勢国司に任じられた。一族内での信頼も厚く、親房と顕信が東国に出兵した際には、顕能が玉丸城に残って伊勢経営の大任を果たしている。武将としても、神山城に攻撃を加えてきた高師秋を撃退するなど有能な働きを見せた。しかし南朝は当時すでに衰退の一途を辿っており、玉丸城を含めた南朝の諸城は次々に陥落していく。1352年に顕能は楠木正儀らと共に南軍の先鋒を務め、一時的に京都支配を成功させるも、僅か翌月には態勢を整え直した北朝側に敗走を余儀なくされてしまう。文献が少ないためこれ以降の足跡を辿るのは難しいが、顕能の子孫は「伊勢北畠氏」として繁栄したため、顕能を「伊勢北畠氏の祖」とするのが一般的。 なお南北朝時代に活躍した北畠氏の武将の多くが祀られている三重県津市の北畠神社において、顕能は主祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
北畠神社
(三重県津市美杉町上多気1148)
