北畠顕家
きたばたけあきいえ
- 歴史的人物
- 男神・男性

霊山神社所蔵(パブリック・ドメイン)

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング776位
- 公卿
- 武人
鎌倉~南北朝 [1318年~1338年]
北畠顕家とは?
北畠顕家(1318-1338)は鎌倉時代末期~南北朝時代の人物。北畠親房の子で、北畠顕成らの親。「後の三房」の一人として後醍醐天皇に近侍した北畠親房の長男として生まれる。良家の血筋ゆえ、顕家は僅か3歳で叙爵されたのち様々な官職を歴任、12歳までには従三位参議・左近衛中将となった。14歳で参議になった先例は顕家をおいて他にない。本人の才覚もあって順調に出世した顕家は、やがて親房と共に「建武の新政」の補佐役として手腕を振るう。この頃から陸奥国(現在の宮城県)に下向して東北地方の統治を始め、北条氏残党の追討や津軽平定などの活躍目覚ましく、1335年には鎮守府将軍に任ぜられている。さらに翌年には豊島河原合戦に勝利して足利尊氏を九州に敗走させ、「大将軍」の号を賜って「鎮守府大将軍」となった。しかし尊氏が勢力を盛り返すと戦況は悪化、1338年の石津の戦いで顕家軍は劣勢に立たされ、顕家は戦場で落馬した末に討ち取られる。享年は21歳だった。 顕家を主祭神として祀るのは、大阪府大阪市にある阿倍野神社。同神社は顕家が討ち取られたと伝承される地にたち、戦後に顕家を祀るため建立された祠が元になっているという。
ご神徳
ご神徳は不明です。
