保科正之
ほしなまさゆき
- 歴史的人物
- 男神・男性

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祭神ランキング1003位
- 藩主(高遠藩
- 山形藩
- 会津藩)
江戸 [1611年~1673年]
保科正之とは?
保科正之(1611-1672)は江戸時代の武士。徳川秀忠の子で保科正経らの親。徳川家光らの異母兄弟。江戸幕府2代将軍秀忠の4男として生まれ、信濃国(長野県)高遠藩主・保科正光の養子となる。1631年に養父・正光の跡を継ぎ高遠藩主となる。異母兄の3代将軍・家光に重用され、山形藩20万石、会津藩23万石を拝領し会津松平家初代となった。家光死去に際しては、4代将軍となる徳川家綱の後見を託され、以後は幕政にも力を注ぐ。それまでの武断政治から文治政治へと転換を図り、末期養子制度の緩和、玉川上水の開削、明暦の大火後の江戸の町の復興などを行った。藩政においては、殉死の禁止、領民の風俗匡正、年金制度の始まりとされる高齢者への養老扶持の支給、飢饉での農民救済のため社倉を設けるなど様々な改革を行った。隠居が許されると嫡男の正経に家督を譲り、1672年に江戸藩邸で死去した。正之は神道を吉川惟足に学び、神社の保護にも尽力。会津の総産土神をまつる磐椅神社を崇敬していた。 正之は土津神社(福島県耶麻郡)で主祭神としてまつられている。磐椅神社の神地に葬ることを遺言し、磐椅神社の末社となる土津神社を建立。奥の院には正之の墓が建てられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
土津霊神はにつれいじん
その他
