一条房家
いちじょうふさいえ
- 歴史的人物
- 男神・男性

幡多郷土資料館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 公卿
戦国 [1477年~1539年]
一条房家とは?
一条房家(1477-1539)は、戦国時代の公卿、大名。土佐国の国司。父は関白・一条教房。兄の政房とは30歳近くも年が離れており、房家が生まれたころには既に兄・政房は戦死していた。元々は仏門に入る予定だったがわずか4歳で家督を継いだ房家は正二位の高位まで出世し、土佐の国人領主たちの盟主として勢力を伸ばした。父・教房の時に所領を土佐国幡多郡とし、房家の時代が土佐一条氏の最盛期と言える。本拠地である中村は「小京都」と呼ばれるほど栄えたという。現在の四万十市にある東山や鴨川の名前は、房家が京都にちなみ名付けたと伝わっている。房家は本山養明らによって滅ぼされた長曾我部兼序の遺児・長曾我部国親を保護し、仲介をして元の城に復帰させるなど再興を助けたが、1539年に房家が死去したのち弱体化すると、30年後ではあるが長曾我部氏によって一条氏は滅ぼされてしまった。この時「国親を救われた恩があるので一条氏と戦うと天罰が下る」とためらった長曾我部元親を、弟の吉良親貞が「天罰は自分が受けよう」と説得して戦をした。一条氏が滅亡したのちに親貞は30代で若くして死去したという。 高知県四万十市中村本町にある一条神社は、父・教房らとともに房家も主祭神として祀っている。「いちじょこさん」の愛称で人々に親しまれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
一条神社
(高知県四万十市中村本町1丁目3)
