平田篤胤
ひらたあつたね
- 歴史的人物
- 男神・男性

栗原信充(肖像集)
祭神ランキング776位
- 学者
江戸 [1776年~1843年]
平田篤胤とは?
平田篤胤(1776-1843)は江戸時代中期の国学者。出羽久保田藩士大和田祚胤の四男。幼少の頃より漢学、医学を学んだ篤胤は20歳にして久保田藩を脱藩。江戸に出た篤胤は苦学を経験した後に松山藩士平田篤穏の養子になる。江戸に出た当初の篤胤は国学よりもむしろ蘭学や医学への興味が深かったが、妻の綾瀬が買い求めてきた本居宣長の著書を読み国学に目覚めることになる。篤胤は実際には宣長の死後にその存在を知ったために自らを没後の門人とも称している。初の著書は「呵妄書」であり、これは宣長学の視点から太宰春台の「弁道書」を批判した内容であった。その後篤胤は100冊を超える著作を次々に生み出す。やがて篤胤はこれまでの国学に疑問を持つようになる。著書「古史徴」では古事記、日本書紀などの口伝書の内容の相違に着目し、その内容を再構成し正しく理解すべきであると説き、この考え方が復古神道の成立に繋がっていく。しかし篤胤の著作は徐々に幕府の忌む存在となり著述差し止め国元帰還を命ぜられ、失意の中で没することになる。 篤胤は東京都渋谷区にある平田神社に祭神として祀られている。篤胤は没後神霊真柱大人の霊神号を賜り、学業成就、合格祈願などのご利益があるとされている。
ご神徳
別称・異称
神霊能真柱大人かむたまのみはしらのうし
その他
大角だいかく
その他
大壑だいがく
その他
気吹舎いぶきのや
その他
真菅乃屋ますげのや
その他
祀られている主な神社
彌高神社
(秋田県秋田市千秋公園1-16)
本學神社
(長野県高森町大字山吹2919)
本居宣長ノ宮
(三重県松阪市殿町1533-2)
