平経盛
たいらのつねもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野元信 - 赤間神宮所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 武人
平安 [1124年~1185年]
平経盛とは?
平経盛(1124-1185)は平安時代末期の武将。平忠盛の三男であり、母親は皇后宮亮源信雅の娘。平清盛の異母弟にあたる。清盛と共に平氏の創成期から最盛期を経て滅亡までの全てを見つめた人物。朝廷内の勢力争いとなった保元の乱、平治の乱には清盛に従い参戦し武功を挙げている。しかし、母親の身分がたの異母兄弟に低かったことから昇進は遅れていたと考えられる。政治の世界ではそれほど大きな功績はなかったが、歌人としての才は父忠盛から受け継いでいた。守覚法親王仁和寺歌会や二条天皇歌会などに出席し、自らも歌会を催し藤原頼長、藤原教長、藤原実清など藤原氏族も多く参加している。しかし、以仁王の令旨により平氏追討の挙兵をした木曾義仲に追われ都落ちとなり、その後も源義経を大将とする源氏軍に追討され、一の谷、屋島と清盛と共に転戦したが、壇ノ浦に追い詰められ弟の教盛とともに入水して自害した。しかし別の説では、経盛は20人程度の手勢と壇ノ浦を落ち延び鳥取県八頭郡にある洞窟で隠遁したとも言われている。 経盛は鳥取県八頭郡若桜町にある藤原神社に祭神として祀られている。藤原神社はもともと隠遁していたと言われる洞窟の近くに立てられていたが、近年になり当地に遷された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
池田神社
(鳥取県若桜町中原1211-1)
