扶余豊璋 神社の神様 - 神社ファン

扶余豊璋

ふよほうしょう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • その他
  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 扶余豊璋とは?

    扶余豊璋(?-?)は百済国の王族。百済国最後の王である義慈王の嫡男である。第34代舒明天皇の代に日本に渡来したと言われている。その頃百済では大乱が発生し、王太子の地位を追われた豊璋は日本国に人質として放逐された。その後唐と新羅の軍により百済国は支配されたが、やがて唐軍が退いために百済再興の運動が沸き起こる。鬼室福信らが蜂起し、豊璋の帰国と援軍を日本国に要請し、第35代斉明天皇は大軍を百済に派遣した。この軍に同行した豊璋は30年ぶりに百済に帰国することとなる。一旦は新羅軍を追いやった豊璋は福信らと合流し百済王に奉戴される。しかし、やがて福信との間に諍いが生じ、豊璋率と鬼室福信らとの間に諍いが生じ、百済政権は徐々に支配力を失っていく。その後再び侵攻した唐・新羅連合軍により豊璋は劣勢となる。白村江では日本からの援軍と共に奮戦したが大敗を喫し、百済は完全に滅亡した。豊璋は高句麗に逃れという説もあるが、この時期には高句麗もまた滅亡している。唐の都に連行され処罰されたという説の方が信憑性は高い。 豊璋は大阪府枚方市にある百済王神社に祭神として祀られている。百済王神社は百済国滅亡後、日本に残留した一族の氏神として創建され、歴代の百済王が祭神となっている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    余豊

    よほう

    日本書紀

    豊章

    ほうしょう

    日本書紀

    祀られている主な神社

    新宮社
    (京都府京田辺市多々羅新宮前)