楠正成 神社の神様 - 神社ファン

楠正成

くすのきまさしげ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
楠正成

狩野山楽 (パブリック・ドメイン)

楠正成

歌川国芳

祭神ランキング252位

  • 武人

鎌倉~南北朝 [1294年~1336年]

楠正成とは?

楠正成(?-1336)は鎌倉時代末期~南北朝時代の人物。諸説あるが楠正遠の子という説が有力。子に楠正行らがいる。正成は南北朝時代を代表する武将だが、その出自には謎が多い。法華経の奥書に「橘朝臣正成」と記しているため、橘氏の後裔を自称していたことがわかる。駿河国(現在の静岡県)出身という説もあるが確証はない。正成が歴史に登場し出すのは、彼が後醍醐天皇の討幕計画に加担するようになって以降。千早城の戦いでは幕府の主力を千早城に引き付ける策を打ち、鎌倉幕府打倒に大きく貢献した。また建武の新政下では、当時の最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らと共に天皇を支えた。建武の乱で尊氏が敵方に回ると、新田義貞や北畠顕家らと共に南朝側の軍を率いて戦ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害している。活躍した期間こそ短かったものの、正成は日本史に残る軍事的天才として名を遺している。 明治以降は「大楠公」として神格化され、兵庫県湊川市の湊川神社の主祭神となった。また正成の墓碑を立てたのは「水戸黄門」の名でも知られる水戸光圀であり、後年には正成の墓碑に吉田松陰を始めとした幕末の志士らが篤い崇敬を注いだと伝わる。

ご神徳

国家安泰 開運招福 諸願成就

別称・異称

大楠公

だいなんこう

その他

祀られている主な神社

湊川神社
(兵庫県中央区多聞通3丁目1−1)
千早神社
(大阪府千早赤阪村大字千早城山1228)
西葛城神社
(大阪府貝塚市木積2273)
葛木神社
(奈良県御所市高天476)
吉水神社
(奈良県吉野町吉野山579)