鍋島直茂
なべしまなおしげ
- 歴史的人物
- 男神・男性

三浦子サン(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 大名
戦国~江戸 [1538年~1618年]
鍋島直茂とは?
鍋島直茂(1538-1618)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。肥前佐賀藩の藩祖。龍造寺隆信の家老。信安、信昌など複数回改名している。鍋島清房の次男。龍造寺氏を隆信が継いだ頃、隆信の生母が直茂の父・清房の継室となったため隆信と直茂は義兄弟になり、厚い信頼関係を持った。直茂は隆信の右腕として軍略手腕を遺憾なく発揮した。1584年の沖田畷の戦いで島津軍に敗れ戦死した隆信の首を返還しようとした島津氏に直茂は断固拒否・敵対の姿勢を示し、講和の際に良い条件を勝ち取った。その後は島津に恭順の姿勢を見せながらも豊臣秀吉と通じ、島津攻めを促す。この功で秀吉から3万石を与えられ、龍造寺領内で直茂は権力を確立させた。朝鮮出兵でも龍造寺家臣団を率いて参加。家臣団の直茂傾倒が進み、当時の当主・政家との不和や政家の毒殺画策を噂されたが、直茂は否定した。江戸時代に入ると龍造寺高房が実権回復を図ったが、幕府は直茂と子・勝茂に龍造寺氏からの禅譲を認めた。隆信の兄弟らも鍋島氏への禅譲を支持した為、勝茂は龍造寺家の遺領を継ぎ、佐賀藩主となった。初代藩主は勝茂となったが、直茂が藩祖とされる。 佐賀県佐賀市松原にある松原神社は、直茂とその先祖を主祭神として祀っている。「日峯さん」と呼ばれ親しまれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
松原神社
(佐賀県佐賀市松原二丁目10番21号)
