藤原理忠
ふじわらのまさただ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 官人
平安 [~1019年]
藤原理忠とは?
藤原理忠(?-1019)は、平安時代中期の官吏。壱岐守。後一条天皇に仕えた。1019年、「得体のしれない賊が島に押し寄せ、人々を襲って家畜を食い荒らしている」との知らせを聞き、布代城から兵を率いて急いで賊の討伐へと向かったが、賊の数は約3000人と圧倒的で、奮戦もむなしく兵士147人とともに理忠も討ち死にした。賊は満州の女真族であり、この事件はのちに「刀伊の入寇」と呼ばれる。当時の日本の軍の戦法は個人戦であったが、女真族の戦法は集団で押し寄せるというものだった。理忠の軍を打ち破った賊は壱岐嶋分寺を焼こうとしたが、島内の寺総括責任者・常覚を中心に僧侶や民が抵抗。三度賊を退かせるが、ついに猛攻に耐え切れず常覚は島を脱出し、大宰府へ知らせに走った。残された僧侶たちは全滅、寺も焼け落ち、島民148人が殺害され、女性239人が拉致された。生存者はわずか35名だったという。女真族はその後、壱岐や九州北部を荒らしまわった挙句、帰路で高麗の待ち伏せに遭い全滅した。この際、高麗に270人の日本人が救出され帰国している。賊との激戦があったと伝えられる「いくさばの辻」と呼ばれる場所に、理忠の墓が建てられている。 長崎県壱岐市芦辺町にある鎮守神社は、理忠を御祭神として合祀している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
鎭守神社
(長崎県壱岐市芦辺町諸吉南触62番)
