藤原泰衡 神社の神様 - 神社ファン

藤原泰衡

ふじわらのやすひら

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

平安~鎌倉 [1155年~1189年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 藤原泰衡とは?

    藤原泰衡(1155?-1189)は平安〜鎌倉時代の武士。藤原秀衡の子。兄弟に藤原国衡らがいる。陸奥国(福島県、宮城県、岩手県、青森県)の豪族・奥州藤原氏に生まれる。正室を母にもつ泰衡は、2男であったが嫡男として育ち、父・秀衡の死後に家督を継ぎ第4代当主となった。父の遺言により源頼朝と対立していた源義経を庇護し続けたが、頼朝からの再三の圧力に抗しきれず、義経が平泉で住まいとしていた衣川館を襲撃。義経は妻子共々自害して果てた。義経に従ったとして弟の藤原忠衡まで討ち、頼朝に恭順を示した泰衡であったが、頼朝は奥州追討の軍を率いて出陣する。各地での戦いに敗れ、総大将であった兄・国衡が戦死すると、泰衡は本拠地の平泉館に火をつけて逃走。夷狄島(北海道)に向かう途中、頼って行った肥内郡贄柵(秋田県大館市)の郎従・河田次郎によって殺害された。 泰衡は錦神社(秋田県大館市)などで祭神としてまつられている。討たれた泰衡を哀れに思った里人が、首を落とされた遺体を錦の直垂に包んで埋葬し、後年その場所に神社が建立されたといわれる。また能代市の鎧神社、兜神社では、逃走中の泰衡が脱ぎ捨てたとされる鎧兜がそれぞれ御神体としてまつられている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。