藤原秀郷
ふじわらのひでさと
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年

国文学研究資料館(日本百将伝 - 歌川国芳 CC BY-SA 4.0)
祭神ランキング1003位
- 公家(貴族)
- 武人
平安 [891年~958年または991年]
藤原秀郷とは?
藤原秀郷(891-958)は、平安時代中期の武士、豪族、貴族。俵藤太との異名もある。生没年については不詳とする説もあり、101歳まで生きたとする説まで存在する。916年、隣国の上野国衙への闘争に加担したとして一族揃って流刑とされたが、王臣子孫だったためか実際に刑が執行された形跡はない。下野国佐野に唐沢山城を築いて居城とした。939年の平将門の乱が起こると、甥・平貞盛と藤原為憲と連合軍を編成して将門の本拠地である下総国猿島郡を攻め、将門を討ち取った。この功により下野守に任命され、武蔵守と鎮守府将軍も兼任することになった。また、俵藤太物語には次のような伝説が伝えられている。琵琶湖のそばの唐橋に大蛇が横たわっていて人々の往来を邪魔していたが、秀郷は大蛇を踏みつけ橋を渡った。大蛇は美しい娘の姿になり、三上山の百足に自分たち龍神の一族が苦しめられていると訴え、退治を願う。藤太は弓で百足を射るが、1本目と2本目の矢は跳ね返され、3本目の矢には唾を付けて射ると見事百足の眉間を射抜き、倒した。龍神の娘は礼に、秀郷に米が尽きない俵や使っても尽きない巻絹などを贈ったという。 栃木県佐野市富士町にある唐澤山神社は、秀郷の居城跡に鎮座しており秀郷を主祭神として祀っている。本殿・拝殿のある位置が本丸跡である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
俵藤太たわらのとうだ
その他
田原藤太たわらのとうた
その他
