島津忠良
しまづただよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

尚古集成館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング655位
- 武人
戦国 [1492年~1568年]
島津忠良とは?
島津忠良(1492-1568)は、薩摩の戦国武将。日新斎の号で知られている。人の道を説いた「いろは歌」の作者。幼少の頃から学問に励み、論語をはじめ禅、神道、儒神仏の三教を融合し新たな「日学」を開いた。父が早くに亡くなり、母・常盤に相州家の島津運久が求婚すると、常盤は忠良を伊作家と相州家両方の当主とすることを条件に応じた。1506年に忠良が元服し伊作家を継ぐと、運久は約束通り相州家の家督も忠良へと譲った。忠良は若くして領地を良くまとめ上げ、領民の信頼が厚かった。同じ頃、島津宗家でも当主の相次ぐ早逝により1519年に守護職を継いだ島津忠兼が、薩州家の島津実久の専横に苦心していた。忠兼は人徳のある忠良に支援を求め、忠良は自らの子・貴久を忠兼の養子として国政委任を引き受ける。同年、忠兼は貴久に守護職を譲り隠居。忠良もその後すぐに出家し、貴久の補佐に尽力した。これを不満に思った実久が騒動を起こすが、貴久は1552年に無事守護として正式に認められた。その後も忠良は貴久の子・島津四兄弟の実力を認め見守り、薩摩独特の士風を築いた。 鹿児島県南さつま市にある竹田神社は、忠良を主祭神として祀っている。元々は忠良の菩提寺であったが、明治時代に竹田神社が創祀されたものである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
日新斎じっしんさい
その他
祀られている主な神社
竹田神社
(鹿児島県南さつま市加世田武田17932)
亀ヶ城神社
(鹿児島県南さつま市金峰町尾下3007)
和多利神社
(鹿児島県南さつま市金峰町宮崎1)
竹田神社
(鹿児島県肝付町前田3632)
