渡辺崋山
わたなべかざん
- 歴史的人物
- 男神・男性

椿椿山 - 田原町博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 家老(田原藩)
- 画家
江戸 [1793年~1841年]
渡辺崋山とは?
渡辺崋山(1793-1841)は江戸時代後期の人物。渡辺定通の子で、渡辺一崋らの親。崋山は三河国(現在の愛知県)田原藩にて生を受けた。渡辺家は田原藩の上級藩士の家系であり、代々100石の録を与えられていた。ところが藩の財政難などの理由で減俸を受けており、実収入は僅か12石足らずであったという。このため崋山は日々の食事にも困るほど極貧の子供時代を送っていた。この頃から、崋山は家計の足しにと絵を売り始める。絵の才能はめきめきと伸び、20代半ばには著名な画家となっていった。一方で藩士の仕事も怠ることはなく、後年は田原藩の家老に就任、殖産興業の導入を始めとした藩政改革に尽力している。たゆまぬ努力により順調に出世を遂げた崋山であるが、1838年には自著の「慎機論」が原因で失脚することになる。慎機論は鎖国下の対外政策を激しく批判した文書で、これが幕府側に知れると崋山は厳しく断罪され、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は自刃を余儀なくされた。 明治期に入ると崋山の功績は再評価され、昭和21年には崋山を主祭神とする「崋山神社」が創建された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
崋山神社
(愛知県田原市田原町巴江17番の4)
