貞辰親王
さだときしんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング776位
- 皇族
平安 [874年~929年]
貞辰親王とは?
貞辰親王(874-929)は平安時代の皇族。第56代清和天皇と藤原佳珠子の子で、第57代陽成天皇らは異母兄弟にあたる。清和天皇の第7皇子として生まれ、875年に親王となる。親王の母・佳珠子は、朝廷で権勢をふるっていた藤原基経の娘であり、多くの清和天皇の皇子たちの中で、基経の外孫は親王1人であったことから、陽成天皇の次代の天皇候補として有力な立場にあるとされた。しかし、親王が立太子されることはなく、要因として親王自身が幼年であったことや、基経の甥でもある陽成天皇の素行が問題視される中で、陽成天皇の母が親王の母の叔母という血統の近さもあり、擁立は困難であったなどの説が挙げられている。後年、親王は東国を遊行していたとされ、途中、現在の東京で死去したと伝えられている。この時、比叡山の高僧・慈覚大師が行脚中で浄光寺に滞在しており、弟子の良本阿闍梨に命じ親王を埋葬。塚を築き慰霊し、以降は浄光寺が塚を管理したとされる。 親王は東京の王子白髭神社(葛飾区)、牛嶋神社(墨田区)で祭神の貞辰親王命としてまつられている。この2社には、遊行の途次に死去した親王を王子権現としてまつったとする同様の由緒が見られる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
