直江兼続
なおえかねつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

米沢市上杉博物館所蔵(パブリック・ドメイン)

歌川国芳
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1560年~1620年]
直江兼続とは?
直江兼続(1560-1620)は戦国時代~江戸時代にかけての人物。樋口兼豊の子で、直江景明らの親。越後国(現在の新潟県)の上田庄で生まれた兼続は、その美貌と才気を上杉謙信に見込まれ、若い内から寵愛を受けたという。のち謙信の子にあたる上杉景勝の側近となり、間もなく跡継ぎのいない直江家を継いだ。政治の才に優れていた兼続は、早くから豊臣秀吉に接近して景勝との間を取り持ち、豊臣政権時代の上杉家の立場を盤石のものとする。いつしか兼続は上杉家における内政外交の大半を一人で担うようになり、当時の家臣たちは景勝を「上様」、兼続を「旦那」と呼び、二頭政治に近い環境が構築された。秀吉の死後は徳川家康と敵対して関ヶ原の戦いの引き金を作るも、戦後は景勝と共に上洛して家康に謝罪、お家の存続を赦されている。ただし所領は会津120万石から米沢30万石にまで大減封されたため、晩年は藩の立て直しに力を注いだ。 米沢の法泉寺には兼続の蔵書を収めた「禅林文庫」が残る他、總宮神社には兼続が植えたとされる「直江杉」があるなど、山形県各地の神社仏閣に兼続との関わりが見られる。兼続を祭神とする神社としては、同じく米沢の「松岬神社」などが著名。
ご神徳
ご神徳は不明です。
